Disk1
3:Nick Indist [2/2]


「僕は一度死んだんだ」
 ニックは若者の言葉に首をかしげた。
「いきなりわかんねえこと言う奴だな。どういうことだ?」
 若者は青ざめた顔を呼吸と共に震わせている。
「僕は……一度死んで、生き返ったんだ。でも、あの人たちが、僕を殺そうとした」
 最後の言葉だけは真実だと感じた。それだけにますますわからなくなった。
「……実験が失敗した……とか、言ってた。あなたは消されたって言われて……注射器に、なんかしたたってるのを見たらものすごく怖くなって……逃げた……」
 若者はますます青ざめていく。……いや、これは、紫と言った方がいいのか?
「おい、大丈夫か?」
「……背中が痛い……!!」
 若者が床に倒れ込む。エビのように丸まり、反り返り、もがく。
 どうしてさっきから生き物のきしむ音がするんだ? 疑問が増殖して恐怖に変わっていく。どうして背中にこんなに大きな肩甲骨ができてるんだ? どうしてこうも急速に腫れ上がっていくんだ? どうしてどうしてどうして
「助けて!!」

 おぞましく、懐かしい瞬間。爆発し弾け散る身体の一部。人が人を殺した時の、忌まわしい記憶。頬に飛び散ったのは脂肪か何かだろうか?

 ニックは血のような冷や汗を垂らして立ちすくんでいた。足下からどす黒い臭いがする。……若者の亡骸とは対照的に。
 若者は血に濡れた衣をまとい、なぜか苦しみの抜けた表情で人間から「物」になってしまっていた。そして、透明な「羽」だけが死んでもなお広がり続けていた。「羽」である。「翼」ではない。血を吸って背中から美しく広がる「羽」。人間から化け物への羽化とでも言うべきか。
 ニックはこの事態に呆然としていた。
 戦争ではないということ。つまり、事件だ。まず自分が動かなければならない。
「……俺は何も悪いこたぁしてないはずだ」
 深呼吸してまずそれを再確認する。ドアを開ける。現実が冷たい光で彼を祝福した。

 化け物が半透明のビニールについたジッパーで封印される。
「一体何が起こったんです?」
 研究員は事件の重要関係者にそっけなかった。
「実験中の事故です」
「だからどのような?」
「事故です」
 視線さえ合わせようとはしない。
「じゃせめてこの方のお名前を教えていただけませんか?」
「被験者Aです。他に質問は?」
「……」
 ニックはそれ以上何も言わなかったが、その心中は不審極まりない態度をとる研究所への憤りで満ちていた。政府機関の閉鎖性はいつものことだが、若者の死はそれをますますいかがわしいものにしている。研究所は若者の存在を抹殺する気なのだろうか?
 彼は沈黙のうちにその場を離れた。密かに調査への使命感ができあがっていた。

 しかし、彼は調査することができなかった。
「インディスト少佐、あなたを拘束させていただきます」
 翌日部下にかけられた手錠。
「……どうして、だ? 俺は何もしてない!」
 部下は辛そうにうつむいている。
「あなたが銃器を密売しているとの密告があったんです」
 密告? 馬鹿な。誰がそんな嘘を密告するというのだ。
「そんなことは調べりゃすぐに嘘だって……」
 その時身の毛がよだつような仮説が浮かんだ。
 ……もし、「事実」さえも歪められてしまったら?
「シュミッツ大佐の命令です」
 ニックは愕然とした。無駄と知りながらも、必死に叫ぶ。
「違う、俺はハメられたんだ! お前だって俺にそんなことできるはずがねえってわかってるだろ!? ……なぁ……!」
 歪んだ事実に踊らされる。
「頼むから離してくれーっ!!」
 救いの手はなかった。

 軍法会議の場で、ニックは最後のあがきをした。
「俺が何をしたっていうんです? この手錠を解いてください!」
「君は個人として真実を知ろうとした」
 それが自分の罪か? 自分を取り囲む国家の誇り高き軍人たち。今まで信じていた正義は張りぼてだったのか?
 周りの全てが黒い疑問に姿を変えていく。あの化け物のせいだ。あれが事実を歪めたんだ。
 ドアが開いて答えが現れる。
「君は消されたのだよ」
 ……研究所の博士が、俺を見下している。
 懐かしい銃声。懐かしい衝撃。……もう、思い出したくもなかったのに。正しいことをしてベッドの上で死ぬんだ。ここは、戦場じゃ、ない……。

 彼の思考はそこで停止した。

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