夢の最果て
Chapter1 [2/4]
長い旅だった。
ゴミの平地をゆくとゴミの丘があり、それを越えるとまた途方に暮れるほど遠大なゴミの平野が広がっている。キャタピラの車さえ動かなくなったのはいつからだろう。この砂漠のようなゴミの大地の上で、今やヒトは徒歩以上の移動手段を許されてはいない。
ヒスイは歩きながらよく上を見上げていた。空と大地の間には年がら年中すすが舞っており、さらに汚れたビニールや古紙やありとあらゆる虫けらが飛び回る。空気はいつも臭くてあっという間に鼻がだめになった。そもそも防塵マスクがあるとはいえ、危険な腐敗ガスと病原菌が溢れている場所を何日も歩き続ける方がどうかしているのだ。地表の気温は曇りの日でもしばしば摂氏三十度を超え、雨の日でも決して摂氏二十五度を下回らなかった。
「クローブさん、暑いよう。服脱ぎたいよう」
「脱いでもいいが肌を陽に晒すな。紫外線にやられるぞ」
涙よりも先に吐き気をおぼえる暑さ。水も十分な量あるとはいえない。それでもヒスイに許された服は長袖に長いズボンだけ。
若い大人のクローブでさえきつい旅なのだ。子どものヒスイは歩きながらしばしば脱水症状をおこした。体中から底なしに熱が湧き上がり、勝手に水分が外へ搾り出されてゆき、やがて汗さえ捻出できなくなると熱中症になってゴミの大地の上に倒れたりする。暑さで意識まで蒸発しかかっているクローブがうっかりそれに気づかず先へ行って後で慌てて駆け戻ることも一度や二度ではなかった。子どもの命はここでは貴いと同時に、ゴミ同然に軽いものでもあった。そういうものだとヒスイは思っている。疑ったことなど一度もない。
クローブはそんなヒスイのためにいろんな話をしてくれた。
古えの大地にはどんな世界がそびえ立っていたか。おとぎ話では省かれてしまった草の名前や、絶滅したあまたの動物たちのはなし。宝石の名前。今まで渡り歩いてきた集落ごとの風習。クローブはこの世界でも特に物知りなようにヒスイには思われた。クローブの話をたのしみにして日々を耐え抜いた。
そして、クローブのとっておきの宝物。
「クローブさん、この石は?」
「”賢者の石”だ。昔はオパールと呼ばれていた」
熱中症でヒスイが苦しい思いをしていると、クローブはその石をこっそりとヒスイの手におさめて必ず励ましてくれた。石自体はブローチのような古びた金属製の縁飾りにはめ込まれており、持っていると道に迷わないというちょっとした言い伝えもある。大海原の深い深い蒼を凝縮した液体に虹の涙を詰めたというその石は、ほんとうに綺麗で、光の向きを変えるたびに何度も虹の涙がうつろう様を見れば暑さも苦しみも忘れられた。
「……俺は、海はきっとこんな色をしてるんだと思う。深い蒼で、その中に綺麗な硝子と虹の涙が混ざってるんだ。海の色が本当は何色なのか、今はもう誰も知らないけどな」
行く先々の町で海の色を尋ねるたびに、答えはみな違っている。バッテリー液のように赤いと答える者もたくさんいたし、苔のような緑だとか同じ緑でもエメラルドグリーンだと答える者もいる。灰汁のように泡立って灰色だと言う者もいた。黄色かったりオレンジやピンクや紫色になるときもある、黒いと言う者もいれば、白いと言う者もいる。
だけど海が消えてから本当の海を見たものは一人もいなかった。ヒスイはまだ見ぬ海を想う時、それがクローブの言うように蒼くて虹色なのだと信じることにした。
「ねえクローブさん。海はいつ見えるの?」
「さあなあ。……いつだろう」
どうしてクローブがまだ誰も見たことのない海を信じるのか、ヒスイには時々分からなくなることがある。こんな灼熱のゴミの大地を歩き続けなくても、どこかの集落でひっそり暮らしたっていいじゃないか。こんなに苦しい道を歩き続けなくたって、暗くて涼しいゴミの陰、地下の集落で暮らせばいいのだ……他の人々のように。
「あんな暗い顔で生きろっていうのか」
「だって、無茶だよ! 地表じゃマスクがなきゃとても歩けないし、臭いし、第一フライパンの中みたいに暑いじゃん」
粗大ゴミ、不燃ゴミ、生ゴミにガラスに錆びた鉄。そして人間も含めたありとあらゆる生き物の骨。そんな風に限りなく多岐に渡った「ゴミ」が堆積している大地だ。地面からは熱気を帯びた腐敗ガスがたちのぼり、遥か先のゴミの地平線には万年蜃気楼がかかっている。抜けるように青い空の日も、塵だらけの黒いどしゃ降りの日も。ヒトはそんな過酷な環境を避ける。
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