夢の最果て
Chapter1 [3/4]
行く先々で立ち寄った町はどこも陰気臭くて暗かった。残されたゴミのあまりの多さに途方に暮れて、人々が生きることを諦めた町。人々は死ぬこともできずにゴミの陰にうずもれて、ジャンクフードと化した享楽を麻痺した喉に押し込む日々。
幼いヒスイはいつも町に行くと人間がはだかんぼうで売られているのを見る。彼らを売っているのは服を着て鞭をもった人間だったりする。
「クローブさん。あれは何」
「ケモノだ。汚いなりをしてるだろ」
「あれも人間だよ」
ゴミの中に捨てられて知識のない「ケモノ」に育てられたものはみんなケモノになった。ケモノは大人も子どもも裸のまま――聖書のアダムとイヴさえ葉っぱを身に纏っていたが、彼らにはそれもない――裸のまま四つ足で歩き、言葉も持っていない。どこで覚えたか顔にだけ防塵マスクを付けていた白い痕があるが、町で売られる時には脱走防止のためにマスクは外されているのが常だ。そして皆一様に汚なかった。彼らはたびたび服を着た人間に捕まっては玩具同然の奴隷にされ、野にあっては群れて人間を襲ったり、その死を喰らったりしていた。
「だってあれは人間だよ。助けてあげようよ」
「お前の爺さんを喰らったのもケモノだぞ」
ケモノの一匹や二匹買ったところで何になるんだ。できもしないことを言うな……クローブはヒスイに対して残酷なくらい率直で冷たかった。ヒスイはそんなクローブの返事に答えを返すことができなくて、それっきり何も言わなくなってしまった。
「……ああ、ごめんな。俺だって悪いとは思うよ。何もかもが正しいと思ってるわけじゃない」
クローブは自分なりに自分に誠実であろうとする。だからこそ余計に、彼の言葉は時として彼を取り巻く世界を影も日向も浮き彫りにする。ヒスイは無垢な瞳で彼から多くのことを学んだ。そして同時に自分が何を見たか彼は忘れることはなかった。
売られていく裸のケモノたち。
自分たちと違うと思うなら、それはなぜか。彼らが平然と裸のままでいるから? 吠えたり、歯を剥いて涎を垂らしっ放しにしているから? 目が獣のようにぎらぎらして臭いから? 彼らには単純に知性がなかったからだろうか。それは彼ら自身のせいだろうか。
「クローブさん。おれ何か自分が気持ち悪い」
「うん?」
「あの人たち……人間なのにそうじゃないみたいな、別物みたいで何か違うみたいな、変な感じなんだ。何かがものすごく、全然足りない気がする。何が違うんだろううまく言えない」
ヒスイの反応は、クローブが予想したものとは微妙に違っていた。ヒスイは彼らケモノが外見だけでなく中身まで”違うもの”になってしまっていることを、一目で見抜いてしまっていた。彼らを人間として扱おうとすればするほどにその影は色濃く異物として固まってヒスイを拒んだ。
「あの目はおんなじなんだ。おれたちの目の芯にあるやつと同じなのに、でもあの人たちはそれより先のものがない。おれたちが持ってるものをあの人たちは持ってない。おんなじなのに何か違う……」
知性がないと人間を人間として扱えない。それは残酷な人間の本能なのだろうか。そんな悲しすぎる本能と折り合いをつけて、いつかそれが痛みを伴わなくなった時に人は大人になっていくのだろうか。
戸惑って泣きだしそうな顔をしているヒスイにクローブは何も答えなかった。それから数日間ヒスイの寝付きはとても悪く、クローブは何度となく彼に賢者の石を握らせて夜を明かすこととなった。
ヒトは、美しいものをどんどん自分の手でなくしていった。いつしか美しいものを知っていた世代は失われ、今となっては何が「美しいもの」なのか、それすらも知らない世代が生まれている。
「美しいものってなに」
「人の心の部品だ。美しいものを知らないことにはヒトは人間になれないんだ」
そしてケモノになってゆく。
もし海が見つかったら、海という存在に誰もが巡り会えるとしたら、ケモノは人間になれるだろうか……そんなことをクローブは考える。
「おれは美しいものを知ってる?」
「知ってるよ。美しいものを知ってる奴はみんな強いし、やさしい」
「じゃあ知らない奴は悪い奴なの」
「そうじゃない。そうじゃないけど」
この世には大き過ぎてどうしようもないことがいくつあるのだろう。
ヒスイの前でクローブはよく空を見上げていた。そうやって空を見上げる時、クローブの眼はどんなに遠くのものも見えそうなほど澄んでいた。ヒスイはそんな風に悩むクローブのまなざしをいつか自分も持てたらと思う。クローブの目は焦げ茶色だが、そういうまなざしは例えて言うなら海のように蒼い。真っ蒼で美しいと思う。
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