夢の最果て
Chapter3 [3/4]


「クローブさん……目ぇ覚ませよ。海っていうのは、まだ動けない赤ん坊を見殺しにしてまでして行く所なのかい。違うだろ。キャラバンの人たちの希望だったんだろ。人間を捨ててまで追いかける希望のどこに意味があるんだ」
「希望が血を流し過ぎた。見つけなきゃ意味がない」
「俺は要らないよそんなもの!!」
 叫ぶ度に腐敗ガスを体にめいっぱい引き受ける。
 呼吸系統が緩慢に、しかし戻れない方向で汚染されていくのが予測できる。
「たしかに、俺はキャラバンの人たちが死んだところなんか見てないよ。クローブさんの気持ちだって、半分は分かるけどあと半分は分かってやれない。死んだ人たちのこととか言われても全部はわからない。
 でもこれ以上人が死ぬのは嫌だ。人が死ぬかもしれないのに見殺しにして、自分だけ助かるなんて嫌だ。自分だけ助かって、何にも後悔しないで希望なんか歌っていられる人間にはなりたくない。キャラバンの人たちもそうだったんだろ。あんたも」
 遠くでサンゴが泣き叫ぶ声が、今までで一番良く聞こえた。
 ヒスイの魂を洗う声だ。そしてそれはクローブの魂を洗う声でもあると信じたい。
「俺はキャラバンの人たちのこと好きだよ」
 クローブの目から束の間狂気が消える。一瞬だけ見えたクローブの素顔の下で、ヒスイは彼の記憶の一端を見た気がした。
 心の美しい、かけがえのない人たちを失った。深い哀しみの蒼。
「生きてくために必要なことを、キャラバンの人たちに教えてもらった。美しいものを知ってるやさしい人たちだ。俺はあの人たちに教えてもらったことを守りたい」
 あの人たちならきっとサンゴを捨てなかったよ。
 最後にクローブの狂気を鎮めたのはその一言だった。



 海なんかなくてもいいよとヒスイは言う。
 初めて、真っ蒼な目をした。



 海は必ずあると信じて歩き続けることを、やめたりはできなかったけれど。



 そう。狂気がゆき過ぎてからも
 ヒスイとクローブはとうとう完全には解り合えなかった。
 優しさは、優しさがもたらす愚かさは、いつか必ず人を殺す。
 クローブはそれを知っていたけれど。
 何も言わなかった



「そこで待ってろ。もう一度だけ替えのマスクを探してきてやる」
 クローブはヒスイにサンゴを抱かせると一人テントのあった方へと引き返していった。ヒスイはヒスイでやっとサンゴを守り抜いた安堵感に包まれ、クローブの姿が見えなくなった途端に腰を抜かしてその場に座り込んでしまった。大き過ぎるマスクを被ったサンゴがひたすらヒスイの腕のなかでむずがっているのを見ると、遅れていた達成感が地面から体へと這い上ってくるのがわかる。
「……へへ。良かったなあ。サンゴ」
 ヒスイは少しずつ一人前になってゆく。不毛を極めるこの時代だからこそだろうか、ヒスイの体と魂は迷うことなく一番良い方向へと伸びる。何の祝福もありはしないこの世界をありのままに受け取めて、栄養になるものは自らの手でむしり取っていく。
 ヒスイにとって海はあってもなくても関係ないものだ。そんな所に全ての希望を賭けなくとも彼は自分が自分の意志で歩いてゆければ、それでよかった。それに今は守るべきものがある。自分の内面から不思議な力を呼び起こすちいさな命。
 クローブが自分を拾った時も、こんな感じだったのかもしれない。昔のクローブは厳しくても必ず優しかった。自分が倒れた時には何度でも小さな自分を膝に乗せておもしろい話をしてくれた。今では死んだ爺さんよりも長い時間を共にしてくれた、大切な二人目の家族だと思っている。
「俺もあんな風に蒼い目で遠くを見たい」
 ヒスイは、知らない。さっき自分が蒼い目をしていたことを。それがクローブに何を思い出させたかを。そうしてクローブが一人で荒野を歩いているところは想像できても、青年は彼のその姿に隠された本当の意味にまで思いをめぐらすことはできない。
 灼熱の太陽は絶望の大地を遥か遠くまで照らすけれど。
 クローブのあの目だけはその向こう側まで見えているような気がするのだ。そんなにも遠くまで見えるということは、人を狂わせるのだろうか。そこに何が見えていても人は狂うのだろうか。それでもあの蒼い目に憧れる自分は、一体何なのだろう。
 雲のうつろいと共に丘の下には澱みきった空気が打ち寄せられてくる。地表をわたる熱風が有毒物質を低い場所へ溜め始めているのだ。ヒスイは苦しくなってくる呼吸に耐え切れずにサンゴを抱きかかえ、傷ついた足と重い体を引きずって丘の上へ登っていった。丘の頂点に達した二人をひときわ強い熱風と容赦ない日差しが祝福し、目の前には果てしなくゴミの惑星が開けていた。そしてその中でぽつんと途方に暮れている、一匹の小さないきもの。

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