夢の最果て
Chapter3 [4/4]


 二人の視界の遥か彼方で、クローブが祈っていた。
 祈っているように見えた。風の中でゴミの大地にひざまづいて、見上げるものを焼きつける海のような空を見上げて。紫外線に目をやられるのにも構わずに「賢者の石」を握りしめている。彼の掌の中で賢者の石が海に写る太陽のようにぎらぎらと光を反射させ、ヒスイとサンゴの目を眩ませた。
「クローブさん」
 こちらに気がついた時のクローブの目を蒼過ぎると思った。深海の淵を覗き込んだときのように、自分の心の奥底まで見られたような気がする。自分たちの目指す海は決して夢と虚飾の産物ではないのだと、無言のなかで思い知る。
 瞬きをしたクローブの目はあっという間にいつもの焦げ茶色に戻っていた。彼はその場に立ち上がってゴミの大地の空気をゆっくりと吸いこむと、その不味さに目を細めてつけているマスクに手をあてがった。もちろんマスクを外したところで清浄な空気は吸えない。窒息しそうな苦しみがいや増すだけだ。
「一つだけ、使えそうなやつが残ってた。お前も確認するといい」
 こうしてヒスイの手には無事にマスクが手渡された。ヒスイはマスクを慎重に点検し中のフィルターの白さに心の底から安堵した。
 マスクさえ見つかってしまえば、後はあっけない。クローブとヒスイとサンゴはいつものように町を目指す。足を前に出さなければ前へ進めないことはわかりきっているのだ。摂氏五十度以上の腐った虹色の大地を踏みしめていく。
 町までの道中の間にヒスイとクローブは何事もなかったかのようなやり取りを何度も繰り返した。クローブのよた話には終わりがなく、ヒスイもまた辛抱強くそれを聞くことに慣れきっていた。いつかサンゴが大きくなったら今度はヒスイが同じ話を何度も繰り返すのだろう。幼いサンゴをひざに乗せて、賢者の石を握らせて。キャラバンの人々が繰り返してきたことは知らず知らずのうちに子どもたちによって受け継がれてゆく。
「クローブさん」
「うん?」
「俺はどうやったら蒼い目を持てるのかな」
「何だそれ? お前の目は何をどうしたって翠色のままに決まってるだろ。そういうことは蒼い目の奴に訊け」
「だからあんたに聞くんじゃないか」
 クローブはヒスイの言葉をはなから真面目に聞かないでどんどん先を急ぐ。自然と勢いづいた彼の手が時々勝手に暴走してびりびりと震えているのが、ヒスイには哀しい。
「俺のは焦げ茶だろうが。サンゴの目は緋色だし、お前の目は翠って言ったら翠なんだ。町に着いてから考えろ。ここには蒼目の奴なんかいないんだから」
「だからそうじゃなくて」
 クローブは大切なことには何も言わない。今までもずっとそうだった。大切なことは全部沈黙の中から自分で掴み取る……それがキャラバンの掟。
「自分で考えろ。それ以上は言えん」



 ぶっきらぼうな台詞でクローブがそこまで言ってくれたのは、その時だけだった。ヒスイはそれに気づくこともなくクローブの不親切さにふて腐れて、慣れた調子で「ずるいよな」と言っていた。
 話の間を突くようにクローブは咳き込み続けている。ヒスイがふて腐れたままで「調子悪いんなら休もうぜ」と声をかけると、逆に「まだまだ」と反発された。
「あんたが倒れても引っ張っていくのは俺なんだからなー。クローブさんそろそろ歳考えようよ。これからは俺の時代だよ俺の時代」
「生意気ぬかすな」
 返事の口調はどこか笑っていた。若者の強がりを見透かしていて、そのくせ前を見つめる顔は楽しそうだ。わかったそぶりをされて余計にヒスイがふて腐れるのも楽しい。笑えば余計に後が苦しくなるのに笑ってしまう。
「笑うなよ。俺はもう子どもじゃないぞ」
「……ああ、そうだな。もう見た目だきゃあ大人だ」
 いつの間にこんなにでかくなってたのかねえ……クローブが後ろを見ると、そこには逞しく育った立派な若者の姿がある。そしてきっとその後を継いでゆく、小さな命も。
 クローブは二日後にようやく町に辿り着き、その日の晩に血を吐いた。
 ヒスイと一緒に水を飲んで少しむせただけだったのに。地獄の沙汰みたいに胸を掻きむしって咳き込み続け、ついに肺の中が裂けた。「空気、空気」と息が止まりそうになりながらもがくがきれいな空気などあるはずがない。真っ青になって苦しみ続けるクローブの前でヒスイもまた顔面蒼白になる。
「クローブさん、あんた」
 苦しさのあまりクローブは血に塗れた手でヒスイのマスクをむしり取る。そうして無我夢中でマスクから息を吸った彼が少し調子を取り戻すのを、ヒスイはずっと見ていることしかできなかった。
 クローブはどんどん黒い血を吐く。肺に溜まった毒素を抜くために。そうやって血を吐き始めたら人間はもう長くないとヒスイはクローブから聞いている。

次章[#] 前[*]
戻る[1]
Copyright © 2009 桔梗鈴