夢の最果て
Chapter5 [3/6]
キャラバンの人々、そしてクローブと自分の歩んできた道は時間をも超える長さだったはずだ。いつか終着点に着くことを誰もが信じていた。あれはひょっとしたらその”終着点”かもしれない。
遠くに地平線の下からとてつもなく高い塀が伸びてきていた。この広い世界の中で、それの存在だけがまるで異質だった。遠目に見ても優に高さ数百メートルはあるであろう漆黒の塀はその向こう側をきれいに覆い隠し、近づけば近づくほどに静かな恐怖と存在感を帯びてくる。
「……にいちゃん」
「うん?」
「何であの塀は怖いの」
「誰かが海を守るために、あの壁にまじないをかけたんだ」
言いながらヒスイは自分で作った物語を信じたくなった。本当にヒスイがサンゴに言いたかったことは、違う。あの壁の向こうに真実があるからだ。
「あの怖さを乗り越えていけない奴は向こう側へ行くなって言ってるのさ。向こう側を見て絶望したくないなら、いつまでもここに居るがいい。そういう奴はこのゴミの世界で諦めきって暮らすのが分相応というものだ……ってね」
「勇者を試すんだね」
そこから先をヒスイは言わなかった。向こう側に必ず海があるとか、そんな生易しいものではない。今となっては何を言ってもサンゴの期待を打ち砕くだけのような気がする。
一歩前へ進むごとに黒い壁は天へと伸びていっている。この廃棄物の世界の荒れ狂う熱風にも、ゆるがず、物質的に何も変化しようとしない。世界の端っこを完全なる秩序で留めている鋼鉄の縁。
もしかしたら海ではなく、骨だらけの崖が見えるのかもしれない。
あまりにも高すぎる漆黒の塀が近寄るものの恐怖心をどんどん煽っているのだ。この世界の諦めきった人間には壁の前まで行くことさえかなわないような気がした。後は邪な欲望を持つものや、身を滅ぼす蛮勇を誇る者。そして馬鹿だけの旅路。
数日後、ヒスイとサンゴはようやく塀の前まで辿り着く。漆黒の塀は実際に触ってみるとあちこち風化しところどころ錆びていた。見上げても淵がどこにあるかわからないくらい塀が高く、向こう側へ行く取っ掛かりもなく、見上げるために曲げた首が痛い。
「どうやって向こう側へ行くの」
サンゴの問いにヒスイは意外と呑気だった。
「もう少し調べてから考えるさ」
「だってめちゃめちゃ高いよ。この壁」
登れっこないよとサンゴは言う。確かに今のままではそうだろう。しかしヒスイの目には絶望はこれっぽっちもなかったと言っていい。
「だったら時間をかければいい。何年でも」
時間をかければ、諦めなければいつかは何かが変わるのだ。自分の代で既にそれが証明できただけでもヒスイは幸運だった。たとえ調べてみて何もなかったとしても、時間さえかければ向こう側に行く方法などいくらでもある。例えばこの風化した部分に一本一本楔を打っていくとか、町まで戻って金を稼ぎ地面を盛り上げていく工事をするとか。
「それってさ、兄ちゃんが生きてるうちにできるの?」
「途中までぐらいしかできんかもしれんなあ」
さらりと言ってのけながらヒスイは塀沿いに地平線まで目を凝らす。かなり遠くにだが、壁から何かブロックのようなものが出っ張って地面に落ち着いているのが見えた。
小屋と、梯子だった。
梯子は何のために、あんなにも細長く伸びているのだろう。それはおそらく塀の上まで届く長さで、この地平線と同じだけの距離を広がっている黒い壁の中に、ぽつんと一本しかついてなかったりする。客観的に見れば無意味さだけの際立つ存在だった。
下の小屋には小男が一人いた。それまでの町にいた薄汚れた人たちと何一つ変わらない。梯子について聞いてみると、彼はそれを「海への梯子」だと判を押したように答えた。
「あんたもこの梯子を上るのか」と小男は言った。
最後まで上った奴が誰も帰ってこない。帰ってきた奴は向こう側を見ないで戻ってきたか、梯子から落ちて死んだ奴だけだよ……小男は空家だったこの小屋で、梯子を上っていった仲間の帰りをもう何年も待っているという。小男の仲間はまだ帰ってきていなかった。
「本当にこの向こうに海があるんですか」
「僕の相棒が正しけりゃそういうことになるねえ。最後に『海だ』って叫んだきり、戻ってこなかった」
まるで最後の歓喜の声が彼の相棒を殺したかのように。
小男は梯子を最後まで上りかけたけど、その後ふつと見えなくなった物言わぬ相棒に恐ろしくなって、降りてきてしまったのだ。塀の上で何が起き彼の相棒がどうしたのかは今でも霧の中である。
話を聞いて不安になったサンゴがヒスイを見ると、ヒスイはサンゴには理解できないほど落ち着いた顔をしていた。
「にいちゃん」
大丈夫なのかという問いをサンゴは我慢できなかった。ヒスイはサンゴが不安定になっているのを知るとなだめるように微笑みかけて、使い古された大きな手で彼女の肩をぽんと叩いただけだ。
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