コーティング・アイビー [3/4]


 ツタの塊の前にしゃがみこんで顔のあたりを見上げる。月明かりの下でできる影がさびしそうだった。この世に、こんな風に動くツタが二つとあるだろうか。ひとりぼっちなのかもしれない。わかってあげる努力はした方がいいのかもしれない。
「あのね、ツタさん。聞いて。私怖かったの。ツタって普通群れて動いたりしないものでしょう。だから私、あなたが生きてて動いてるのが怖い。さっきまですごく怖かったわ」
 自分が食べられないで済みそうだとわかってほっとするなり、歌子の瞳に安堵の涙が浮いた。言葉にしながら”生きてて動いているのが怖い”というのは残酷な言い分だと思った。ツタの塊は歌子の言葉を聞くとはっきりとしおれた。
「ごめんね。でも、もう大丈夫。もう怖くないから。ハンカチ届けてくれてどうもありがとう」

 歌子が「ありがとう」と言った直後だった。それまで座ったままうつむいていたツタの塊の顔が内側からほのかな金色の光を放ち、驚く歌子の顔を優しく照らした。
 顔のツタが半分ほどまばらにほどけた。その下に出てきたのは、深緑の髪と目を持つ美しい少年の顔だった。顔以外は明らかにツタがうっそうと生えただけの化け物であるのに、中途半端にのぞいた人間の顔は天使のように嬉しそうに微笑んでいた。
「うれしい。ここに来て良かった」
 ツタの声はもうそれまでの人外の声ではなかった。歌子のクラスメートの中に混ざっていても違和感のなさそうな少年の声だ。歌子は次々と起こる怪現象の前に言葉もなかった。
 ツタ少年は右手の辺りの塊から何本かのツタをするすると伸ばして歌子の手に絡みついた。歌子が竦んで身体を硬くさせているとツタの絡みついた手はまたも黄金の輝きを放ち、緑の塊の腕の部分をほぐした。ツタの塊の下からは徐々に少年のものとおぼしき人間の腕があらわになってきていた。
「怖い?」
「ちょっとだけ。……あなた、一体何者なの。ツタさんなの? それとも人間?」
「ぼくはツタです。でも、ずっと人間にあこがれていた。人間ともっとなかよくなりたいと思ってた」
 手に絡むツタは人間のようには温かくない。でも金色に光っている部分が太陽の光を発しているみたいな暖かさだ。少年の懐っこい瞳を見ていると歌子は自分が夢を見ているような気持ちになった。この不定形な少年のことを、きっと自分以外は誰も知らない。
「ぼくはご先祖様の記憶を持っている。ご先祖様があの家の壁に生えていた時、あの家にいた人間はぼくたちにとても優しくしてくれたんだ。みんなどこかへ行ってしまって家に誰もいなくなってしまっても、ぼくのご先祖様たちはそれを憶えていたんだ」
 人間にあいたくてたまらなかった。
 ツタ屋敷のツタたちが世代を越えてみんなで願い続けていると、ある日ツタたちの中に不思議な力を持った新芽が生まれた。それが少年なのだという。ツタたちはその新芽に自分たちの力を分け与え、力を合わせてひとところに寄せ集まることを覚えた。
「何度か人間のかたちを真似して、窓の中からそっと覗いてみたこともあるんだ。声も真似したんだ。でも一生懸命真似したんだけどみんなぼくを見ると逃げるんだ。ぼくに話しかけてくれたの、きみがはじめてだ」
 ツタの塊は歌子が話しかけたことで急速に知能を増してきていた。生まれたての鳥のひなが初めて見たものを親だと刷り込まれるように、ツタの少年は全身全霊で歌子のことを覚えようとしていた。顔に残っていたツタが一本また一本と落ちて肩の方へよけていく、若々しい肌と草の緑を写した元気のいい髪。眉毛も睫毛も緑なのだ。目の前の少女からまばたきまでも真似をすると、彼は首から上だけ一段と人間らしくなった。
「ツタさん。あなたの頭と片っぽの腕は本当に人間そっくりだけど、まだその姿じゃ人の前に出られないわ。きっとみんなびっくりしてしまうと思う。せめて全部の手足の先を人間そっくりにしなければ」
「手足?」
「そう。手足。たくさんの人間と仲良くなりたいでしょう?」
 歌子の手に絡んでいた金色の光が力を失って消えてゆく。歌子は途中で変化の止まった少年の腕を見た。少年の腕から伸びていたツタの触手は彼女の掌を開放するとまた腕に残ったツタの束の中に退いてゆき、おとなしくなった。
 少年は変化していない方の腕で人間の肉のついた反対側の腕にそっと触った。
「いきなり全部は変われないみたいだ。でも、今日はすごかった。……ぼくはツタだけど、きみはなんていうの」
「歌子」
「ウタコ。ありがとう、ウタコ」

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