日常という名のエレジー [2/6]


 哲也は妙子に金をせびりに来て、俺の憎しみのまなざしを無視して、妙子が稼いだなけなしの金を最初から自分のものみたいに持っていく。間男のように妙子に絡みついて、苦い毒でとろかして上手い具合に金を搾り取るのだ。俺が金を盗りに来るなと言った後もあいつは金に困るたびにそ知らぬ顔で妙子の所へやってきた。妙子は哲也に対してだけは弱い。その弱いところを哲也に突かれるとすぐに崩れてあいつの言うなりになってしまう。
 次にあいつが妙子といるのを見たのは中学二年の秋だ。学校から帰ってきてボロアパートの戸を開けると足元に見慣れない男物のエナメル靴が見えて、開けるのをためらった。妙にしんとしていたのを覚えている。都合二・三回くらい俺の後ろで電車が通過した音を聞いたような気がした。
 たまたま噛んでいたクールミントのガムの味が現実との不協和音を作り上げていた。
 哲也が部屋の中で妙子を抱きしめて、脱がせにかかっていた。耳元で何を囁いているのか解らない。多分妙子を泣かすようなことだ。そのままなし崩しに押し倒して、妙子のパンツをむしり取ったかと思うと自分もスラックス一式を下ろして妙子の股の間に割って入っていった。俺と同じ尖った瞳と狼の顔。薄暗い部屋の中で下半身だけの肉が規則的にぶつかり合っている。女の嬌声。
 切り離された時間の中で、凍りついたままその行為を見つめていた。
 妙子は激しく攻撃されながら苦しそうに泣き続けていた。やがて哲也が全てを終えてスラックスを履き、タンスから金を持ち出したのが見えた。奴がドアを開けた所で俺たちははち合わせした。
 俺は、今起きたことを理解しようとした。
 何も言えずに哲也の顔を見た。俺の全身からはすっかり血の気が引いていて、胸は言葉にならない混乱で埋め尽くされていた。
「覗いてやがったのか。何てガキだ!」
 顔を殴られて、アパートの廊下の鉄柵に背中が軋むほど叩きつけられた。膝が折れてその場にしりもちをついた後放心状態で立てなかった。妙子が乱れた服装のまま外に出てきて「お金はあげるから帰って」と叫んでいた。哲也は妙子が俺に構ったことを責めながら巻き上げた数万を懐に入れてそそくさと帰っていく。
「……伴也」
 口の中が苦い。鉄を含んだような味だ。口の中の異物を吐き出すとクールミントのガムに唾液と血が混ざっていた。
「口の中が切れた」
 途端に、ひどい吐き気がした。何かが根こそぎ崩壊していく音がして、吐き気をこらえながらどうしてこんなことにと何度も思った。
 俺は死んでも許さねえ。認めねえ。
「そんなこと言わないでよ」
 妙子は服を乱したままめちゃめちゃに取り乱して俺の肩を掴む。なだめすかすような瞳と声が俺の混乱した胸をつつく。
「可哀想な人なの。誰かがわかってあげないとあの人本当に駄目になる。ね、わかって。あんたのたった一人のお父さんなんだから」
 あんた、お父さんに本当にそっくりよ……。

 すがるように、俺を愛人のように抱きしめた腕をあいつから受け継いだ目が見透かす。全身で感じる忌まわしい血のきずなに俺の自我がうんと目を見開いているのがわかった。
 間違いない。あいつは俺の中にいる。
「俺の前であいつを”お父さん”呼ばわりするな。あいつと俺を似てるって言うな。二度と」
 イカれてる。
 直そうとしてとっかかりを探しても周りの全てがイカれてしまっていることに何度も気づかされるだけ。
「いい加減気づけよ。あんたまだあいつと俺と三人で暮らせるとでも思ってんのか。絵に描いたような、普通の家庭がいつか手に入るとでも?」
 暴走する自分を抑えることができなくなっていた。狂気の虫どもがデリケートな心をささくれ立った素足で踏み荒らしてゆく。衝動にかられてどんどん全力で叫びだす体。軋む骨。逆立つ全身の毛。
「俺とあいつとは無理だ。居るだけで憎み合うんだから。てめえのガキにこんなこと言わすなよ」
 妙子の顔を言葉で蹴っ飛ばし踏みにじった。妙子の顔はそれまでの彼女の人生ごとぐしゃぐしゃに潰されて、涙が汚ならしく顔を覆ってる。
「……母さんのせいなの……?」
 だって、あんたのためだもん。
 まだ胸がはだけたまんまだ。パンツだって履いてない。
「俺のせいにすんなよ!!」
 悲鳴じみた声だと醒めた目で自分を見てる俺の前で、俺は親父と同じようにドアを蹴り飛ばしてその場を逃げ出す。口の中にクールミントと血の匂いが残ってる。どこまで逃げる気か訊いてみたって答えはない。目の前に何か見える限り走ってる。

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