日常という名のエレジー [5/6]
「俺の息子に遊ぼうと言って何が悪いんだ?」
そうやって、人生のうち何回あるかもわからん奇跡さえ拒むのか。
「十五年放っといたのがいけなかったのか。だから、十五年目に俺が勇気を出して歩み寄っても無駄だったってことか。悲しいねえ」
それが父親の口調だと言う奴がいたら、俺は耳を疑う。妙子を追い詰めるときと何も変わってやしなかった。相手に責任をなすりつけてそ知らぬ顔でなじり、いたぶり尽くす口調。
「伴也。母さん悲しませるの、もうやめろよ」
この男は人の隙間に忍び込む術を心得ている。体の隙間から入ってきた哲也の手が内臓を直に掴んでいるような気がして、俺は思わずうめき声を漏らしそうになった。
「俺は、いつだって戻っていいんだ。ただお前が俺のこと嫌だって言うんだもんな。お前が全部ぶちこわすのな……せっかく戻ってやるって言ってるのにな。
伴也は父さん嫌いか。そうだろうな。でも母さんは好きだろ? 父さんが母さんを愛さなかったらお前は存在しなかったんだからな。
逃れられないよ。俺の血からは」
いかにも、俺が悪いみたいに。ここで俺が奴を拒んだら大切なものを取り戻すチャンスは二度とないと思わせるみたいに。あたかも俺のせいでそうなるみたいに。
「もう一度家族やり直そう。な」
俺が許したって、俺の欲しかったものをこいつが与えてくれるはずがないのに。だってこいつは永久に俺たちを裏切り続けるんだから。
「それがあんたのやり口かよ」
親父に向かってそんな台詞しか吐けなかった俺の方が悪者みたいじゃないか。哲也は哀しい目をしない。こんな時でさえ。ただ俺に本当のことを言われて、舌打ちするだけだ。
「最後に親の愛を捨てるのはいつだってお前だよ」
俺の一番醜い内面をこの男は知っている。哲也の言葉は胸を突き刺して身も心も奥深くまで抉り抜いていった。
「お前は人の愛を受け取れないんだな。永遠に」
顔のつくり。表情。背格好。心の在り方。何もかもがあいつに似たものになってゆく。妙子と俺を捨て、たまに現われれば暴力を振るい、働きもしないで暗いボロアパートに引きこもってる。夢も希望もなくあるのは卑屈さと恨みだけ。とっくに人生の終わっているいびつな男。
鏡を見るたびに恐怖と自己嫌悪に陥りながら、どこかでそれをあいつとの唯一の絆だと思い込もうとしている自分がいた。
違う。俺はあいつに似るために生まれてきたんじゃない。
強くなりたい。俺はこんな男のために壊れていきたくない。
激しい平手打ちの音がした。俺が躊躇した一瞬の間に、妙子が肩を震わせながら哲也の頬を張り飛ばしていた。
「もういい。あんたなんかいらない。
あんた伴也にそんなこと言う資格があると思ってンの!? 親なら謝んなさい。そこに土下座して謝りなさい。そしたらあたしも一緒に土下座して伴也にあんたのこと頼んであげるから。てめえの女にこんなこと言わすんじゃないよ、このろくでなし!!」
正直、俺はその場できょとんとしてしまった。
だってそうだろう。そんなものを望んだことはなかったから。妙子の弱さを知っている俺にそんなものを望むことはできなかったのだから。
狼は親父と俺だけじゃなかった。なるべくして母親は牙を剥き、吼えた。哲也の目の端が引き攣る。
「何してんだコラァ!」
哲也がいきなり妙子の顔を殴り、よろめいた妙子の髪を掴み潰してさらに殴ろうとする。妙子の目は燃えたまま哲也を睨みつけている。両手が哲也の腕を外させようと真っ赤な爪を立てる。俺は哲也を弾き飛ばすくらいの勢いで哲也の胴にぶつかっていった。ぶつかった時の衝撃で妙子の髪を掴んだ手が外れ、妙子が一歩外へ逃れた直後に俺はしたたかに脇腹を殴られた。
膝をつきそうになった俺を庇う身体があった。妙子は、哲也の前に立って叫んでいた。
「伴也はあんたみたいにはさせない……伴也はあんたの子だけど、でもあたしの子だ! あたしのたったひとりの子どもだッ!! この子だけは、この子だけはあんたみたいな可哀想なろくでなしにしちゃいけないんだ!!」
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