風を追う男
Chapter2 [3/3]


 翌日、軍のキャンプでリョウが休んでいると大介はまたしてもふらりと現れた。昨日の狂気はすっかり息を潜め、そこには鷹揚とした山男風の男が笑っているだけだった。
「何だよ。二度と俺を撮るな」
「そういうわけにもいかんよ」
 リョウが起き上がって身構えても大介は平然としていた。
「だが今日は手ぶらだ」
 代わりにウイスキー入りのボトルを差し出す。彼自身もかなり飲んでいるらしく、顔が赤い。不自然なほど語調が崩れないのが不思議だった。酔わない男なのだろうとリョウは思った。
「俺は酒は嫌いだ」
 リョウは大介から酒をもらうことを拒否した。大介は彼が民間人に対して向ける笑顔と自分に向ける敵意とのギャップに辟易した。
「大体、昨日の今日『狂ってる』って言った人間に酒を盛ろうっていうあんたの気が知れない」
「……ごもっとも」
 やむなくため息を吐きながらウイスキーを空ける。ボトル一本空けても彼は全くの素面だった。”酔う”ということがわからなかった。
「怒らないのかよ。案外卑屈なんだな」
 リョウが自分を挑発していることはわかる。だが大介は自分のことになると関心がなかった。酒がもうない。ボトルに目一杯入っていたはずなのに。
「……ああ。お前が言うならそうかもな。卑屈と言うなら卑屈だし、狂ってると言うなら、狂ってるんだろうさ」
 思考が長く続かなくなっていた。自分の台詞がいかにリョウの神経を逆撫でしたか大介は気にも留めなかった。
 即座に殴られた。
 足がいうことを聞かず、無様に床に転んだ。見上げるとリョウが拳をふりほどいている。
「一度こうしてやりたかった」
 リョウの瞳は苛立ち、また自分をさげすんでいた。
 自分が一気に気味の悪い感情に染まっていく。この青年は、いつも純粋な哀しみと怒りとひたむきさだけの存在でいるべきなのに。少なくとも自分の前では。大介がリョウに向ける暗い感情には失望があった。開き直ったいじけもあったかもしれない。しかし本人には嫉妬としか思えなかった。

 大介は笑った。リョウをせせら笑うためだった。この青年も自分と同じように壊れてしまえばいいと、本気で思っていた。
「何をそんなに怯えている。そんなに俺が怖いか。狂っている人間がこわいのか、お前は。お前は俺が狂ってるから怖いんじゃないんだろ。いつか自分も狂うと思ったから、だから俺を殴ったんだろ?
 俺が予言してやろうか、お前の未来を。お前は正気でいつづけようとするよ。明日も誰かの手を握って遺言を聞いてやるんだろうさ。
『故郷の誰それに自分が死んだって伝えてくれ。すまない』
 あさっても、しあさっても、一週間後も一ヶ月後でもな。お前は正気を保ちつづけるだろうさ。毎日誰かのネームプレートを持って帰って、死神に見捨てられたみたいに生き延びるだろうさ。だけどいつまで自分を騙しつづけられるかな。
 お前は気づいた時にはわからなくなっている。
『故郷の誰それに自分が死んだって伝えてくれ。すまない』
 誰それの部分が絶対にわからなくなっている。そしてお前の写真からは顔がなくなっている。その時にはもう遅い。お前は自分が何者だったかもわからなくなってるぞ。そうして戦場の中を永久に彷徨いつづけるんだ。自分が何を失ったのかさえわからないままな!!」

「惨めだよ、あんた」
 リョウの目に映る大介は、今や只の酔っ払いだった。
 大介は怜悧なリョウの声でやっと我に返り、自分がまだ起き上がってもいないことに気がついた。いっそと思い大の字に寝転がった。
「ああ、惨めだな」
 大介は何も否定しなかった。きっと五分後には、今言ったことさえ忘れているのだろう。
 何も思い出せなくなっていた。
 それが偽らぬ自分の姿だった。
「少し寝かせてくれるか」
 大介は返事を待たずに目を閉じた。リョウは何も言わずにじっとそれを見つめ、やがて大介が寝付くと上に毛布を掛けてそのまま部屋を出ていった。

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