風を追う男
Chapter5 [2/3]
全ての作業が終わった頃には昼を過ぎていた。大介は自分の一眼レフをきちんと首にかけ、途中の店で数本のフィルムを購入して病院へと向かった。病室へ入ると、リョウは遊びに来た子どもたちの相手をしていてにこにこと笑っているところだった。
枕もとには綺麗に磨かれたカメラ。自分と同じように。リョウもまた自分の首に掛けられたカメラに気づいたようだった。
「写真を撮らせてもらえないかな。いちカメラマンとして」
他の人間には解らない沈黙。
子どもたちにまぎれて霞んだ瞳が、ぎこちなく「いいよ」と微笑む。
日が暮れるまで狂ったように写真を撮った。子どもたちと遊ぶ姿も、窓のそとにふいと向けられる目も。自分を突き放す、その凛とした美しさをフィルムと記憶の両方に焼きつけなければならなかった。リョウはモデルのようにポーズをとることはしなかった。コンマ一秒一秒を見られているのを意識しながら、それでもつとめて普通の生活を送ってみせたように思える。ときおりファインダー越しにのぞかせる淋しそうな瞳。恥じらって程よく紅潮したままの頬。
「綺麗だ。もう少し近くで撮るよ」
大介が近くへ寄るとリョウは必ずよそへ顔を背けた。離れろとは言わない。自分から見つめ返すこともしない。
「こっちを向いてくれ」
一息か二息置いて自分を見つめてくる目が胸に重くて、恋人のように見ているとこっちまで切なくなってくる。カメラマンじゃなかったらきっとあらぬ言葉を洩らしていた。自分がすっかり参っていること。もはや若者でもないのに、自分の感情を上手く伝えられないこと。口に上るままに。
「何だ、お前俺に惚れてるのか」
軽口を叩くと「まさか」という答えが返ってきた。リョウの笑い顔が羽のように柔らかくなる。カメラがそれを撮る。リョウの笑顔を撮っているとなぜか心が軋んだ。撮れば撮るほど、言葉を交わせば交わすほど、失った残り時間の分だけ自分が狂っていった。
日が暮れてゆく。一秒ごとにリョウが美しくなっていっている。
「大介さん。まだフィルム残ってる?」
リョウは大介の前で無造作にシャツを脱いだ。乳房の代わりに肋骨をくるんだ大きな傷跡が夕日に晒され、大介が思わず息を詰まらせると「醜いだろ」と吐き捨てるような言葉がぽつんと浮いた。
「撮ってほしいんだ。醜いけど、これが俺だから」
表面上は癒えていても、その大きな傷はまだ血を吹いていて触ればリョウが苦痛で叫び出しそうな気がした。そんな傷を晒してくれているのかと思うと泣きそうになった。
「醜くなんかないぞ」
心の底から。醜いなんて言葉が消し飛ぶくらいに。
「醜くなんかない。綺麗だぞ。全部綺麗だ」
他の表現を知らない自分の無能さ。なのにリョウは心底安心して、「うん」と言ったきり涙に震えた。一瞬のその涙を大介は写真に撮らなかった。
気を取り直したリョウへの撮影は一層おごそかに行われた。大介は撮影中一言も浮いた言葉を吐かず、かつてない緊張感を持って、隅々まで舐めるようにリョウの身体を撮った。リョウは傷を晒した時の丸まった背中をぴんと伸ばし、次々と切られるシャッター音を聞きながら深呼吸を繰り返す。
「この傷ができた時、目の前で子どもが死んでね。……世話になってた家族の子だったんだけど。何もしてやれなかった」
リョウは大介が答えなくても聞いていることを知っていた。曖昧な相槌を打たれるより遥かに深く聞いてもらっている。相槌がほしければカメラを見つめればよかった。
「あの時は、まだ戦場じゃなくて……村だったんだ。でも、軍隊が略奪する、そのためだけに襲われた。男は殺されたし女は犯された。子どもはいろいろだ。犯されて、嬲られて、殺されて」
シャッターが切られているのに傷を抱きしめる。大介が撮るのをやめると、リョウは「撮って」と声を絞り出した。
「おれもね、あの時は女の格好してたから。それに、何よりカメラ持ってたからね。カメラでどれだけ酷いことできるかあんたもわかるだろう。おれのカメラはあの時たくさんの人を嬲り殺したんだとおもう。おれ、とめられなかった。あんなにひどい目にあったのに……」
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