風を追う男
Chapter5 [3/3]
「おれはね、子どもが死んでいくのをただ見てたの。兵士が入ってきて、女はかたっぱしから組み敷かれてさ、そこの家の奥さんがおれの横で三人ぐらいに犯されてて。子どものいる前でだよ。子どもは女の子と男の子の二人。女の子は二階に連れていかれた。男の子はおれと母親の目の前で、腹を刺された。
……目の前で、小さい男の子がびくんびくんて震えて死んでいくんだ。痛い痛いって、腹からいっぱい血を出して真っ赤な腸とか抱えて。血を吐きながら泣き叫んで、じっとおれの方見て手をのばすんだ。見てることしかできなかった。おれも、上から男たちにのしかかられててさ、もう頭がおかしくなってて、おれにもフラッシュが焚かれてて。それで、とうとう死んじゃった」
声を発する代わりに枕が飛んできた。
大介がシャッターを切るのをやめる。膝を抱えてすすり泣くリョウの姿が壊れそうに脆い。
「だれも助けてあげられなかった」
優しすぎる。いつまでも傷ついてゆく。カメラマンの醒めた心にさえ、神々しいまでの悲しみが伝わる。本気で抱きしめようとしたのに頑なに拒まれた。
「おれに触るな。一人で飛べなくなる」
縮こまったリョウの前でなりふり構わずに土下座して懇願する大介の姿を、リョウは不思議なものを見るように見下ろしていた。
「どこでもいいから触れさせてくれ。頼む」
おそるおそる右手をさしのべると、大介が一回り大きな手でリョウの手をとる。手の甲にそっと口づけがなされた。大介は何度もリョウの手を頬にすりつけて放そうとしなかった。全身全霊で自分の右手をいとおしむ大介を不思議に思う。頬の上でやさしく指を動かしてみる。大介の頬と髭の熱さにリョウの心臓が呼応する。
自分の心臓の音や、大介の身体の暖かさ。そんなあたりまえのことが、純化されて身体の芯へとしみとおっていった。
――大介さん、あんた今ちゃんと生きてるね。
リョウはそう言う代わりに涙に濡れた顔で微笑んだ。
「この胸の傷はね、半分はそいつらにやられたんだ。だけどもう半分は自分でやった。死んだ子どもたちを抱きしめながら、生き延びた自分が嫌で。
でも、結局死にきれなかった」
まだ生きて地獄を見続けなければいけない。他人の地獄を見続け、苦しむことでしか生きられない。それを悟った日からリョウは死ぬのをやめたのだという。
「戦場を走っているとね、死んでいった人たちの顔が時々ぱあっと甦るんだ。俺はその顔を見ると、いつも前へ走らなきゃいけない。走りつづけなきゃいけないと心底思う」
だから、俺は多分死ぬまで走ってるんじゃないかな……。
そう締めくくって撮影は終わった。
「大介さん、俺もう行くよ」
そう呟いてからのリョウの動きは、撮影中の脆さが嘘のようにてきぱきとしていた。
「夜明けには軍の連中がやってくるはずなんだ。あんたには、迷惑かける」
もう少し余韻に浸っていたかったのになと大介が苦笑する。やはり最後まで風なのだ。唐突にぷいといなくなり、どこかへ行ってしまう。その理不尽さを責めるより、一時でも風が自分を凪いだことを大介は喜んだ。
その頃、病院の入口に立つ影がいくつかあった。影はみな同じくすんだ人間の顔をしていた。同じ人間でも、美しさには限りなく差があるのだと思い知らせるような顔だった。
リョウがいつもの軍服を着て手早く靴紐を締めてゆく。
「餞別だ。持っていけ」
大介が渡したのは撮影用のフィルムと一丁の短銃だった。リョウはフィルムを受け取ると短銃を突き返した。
「これからは必要になるぞ」
「要らない。持っていたくない」
大丈夫だよ。俺の足は速いから……すまなそうに笑う。
影が階段を上ってゆく。一部は庭へうごめき、二階を見上げた。かちゃかちゃと人殺しの道具が小さなお喋りを繰り返していた。
「今まで、どうもありがとう」
リョウが病室の窓を開けると待ちわびた夜風が乱入してきた。束の間の休息に眠る街を見つめ、リョウはカメラを首にかけて何のためらいもなく窓枠に手をかける。夜風が光ってそよぐリョウの髪を照らす。あまりの美しさに目も心も奪われていた。
「リョウ、あと一枚だけ」
どうして引き止めてしまったのか自分でもわからなかった。夢中でカメラを構えて振り向いたリョウの顔を撮った。今まさに行こうとする”風”の顔。眩しくて、気高くて、これこそ自分が追いつづけていたものだと思える。
それが自分に微笑みかけた。これさえ撮れたら死んでもいいと思えるだけの一枚だった。
たった一瞬の明暗。病室のドアが開いて影たちが入ってくる。
「一足早いが退去命令だ。動くな」
大介の背後で銃の構えられた音がした。
次章[#] 前[*]
戻る[1]
Copyright © 2009 桔梗鈴