人が三・四人寝られそうな絹のベッドには赤と金の刺繍がなされている。マリノはベッドの上に倒れ込むと、部屋に通されたバルガスの方を向いて面白そうに笑った。
「奴隷は楽しむためにある。お前のように弱い人間も、またしかりだ」
彼にとってはバルガスでさえ態のいい遊び道具でしかないらしい。バルガスが逆らえないのをいいことに、マリノはくっくっと含み笑いをした。彼が指をぱちんと鳴らすと二人の男が扉を開けて入ってくる。
バルガスははっとした。その後から入ってきたのは、セフェリだった。彼女の顔は蒼白である。誰かの手で施された化粧のせいで、その唇は表情とは裏腹に赤く濡れていた。
「どうだ、この娘は泣き叫ぶ時が一番美しいだろう。花開く前のつぼみに入った美しすぎる花びらだ」
マリノは彼女の前まで歩み寄ると、いきなりその首筋をなでまわした。
「やっ……!」
ますます怯える彼女の顔。がたがたと震えているのが見ていてもわかる。二人の男が部屋を出る。鍵をかける音が聞こえる。
「蝶の羽を削ぎ落としたり、花の花びらを一つ残らず取った後に、隠れていた所がむき出しになるだろ? この少女はそれにまさる。とびきり美しくして、壊した時の素顔がいい」
豚より質が悪い。肥えたいぼ蛙だ。およそ哺乳類の暖かさに欠けている。マリノはセフェリをベッドの上に放り投げると、両生類の目つきでバルガスに笑いかけた。
「まだ壮年の男が幼い少女を犯すところは見たことがないからなあ」
バルガスの背筋にぞっとするような悪寒が走る。暑いのに鳥肌が立った。
「面白いだろうなぁ」
純粋にそれだけが理由なのだろう。彼の良心はとっくに壊死してしまったらしい。バルガスはあえて彼に訊いた。
「マリノ様、私に何をさせる気です?」
「何って決まってるだろ?」
マリノは悠々と椅子にかけて、セフェリを顎で指した。
「犯せ」
感情の全くない声。
二人の身体は凍りついてしまった。
「……俺が……こいつを……?」
バルガスが震えながら首を振る。呼吸がだんだん不自由になっていく。
「どうした。私の力をもってすれば、お前一人くらい簡単に辞めさせてやるぞ」
少女の顔は目にまで血の気がない。喉からは奇妙なうめきが洩れる。
「お前が私の加護を失えば、お前の身分は平民ではなくなるぞ。それでもいいのか? ん?」
鉄の天秤がきしみ始める。アルコールと、極度の緊張が上にのしかかる。
「できない……俺にはできない」
「犯せ。命令だぞ」
「できない、できない! できない!!」
彼はパニックに陥った。マリノは目を細めて立ち上がる。
「なら手本を見せてやる」
冷たい蛙がセフェリを追い詰める。
彼女が蛙の下へ飲み込まれる。
そして……
「やめてぇえぇええ!!」
その悲鳴が聞こえた時、鉄の天秤は音を立てて砕け散った。彼は無我夢中でマリノを彼女からひっぺがし、渾身の力でぶん殴った。
「何をする――」
続けざまにもう一発。大急ぎで彼女の鎖を外し、鉄の首輪でさらに殴る。彼の頭は真っ白になっていた。
知らない男たちに羽交い絞めにされて、バルガスはやっと正気に戻った。いつの間にか首輪に血がついている。
「――バルガス、お前の罪は重いぞ!」
マリノは額を割られながら、それでもしっかり気を保っていた。
「しょせん奴隷の子は奴隷か」
バルガスの首に鎖がかけられた。その時、彼もようやく自分の運命を悟った。彼はもはや「平民」ではなかった。
ベッドの上からセフェリが涙目でこっちを見ている。彼女の目の前で、「奴隷」の男が引きずられていく。声にならない何かを叫びながら。
「セフェリ!」
それ以上の言葉はなかった。一瞬目が合ったのを最後にして、二人は遠く引き離された。
光の届かない地下室。そのじめじめした床の上に、文字通りバルガスは頭から投げ出された。自分の後ろで扉が閉まる。
「出してくれ」
「光ぃぃぃぃぃぃぃぃ」
暗闇の中から無数のうめきが聞こえる。地獄と何一つ変わりはなかった。黙って体を起こすと、隣からうめきとはまた違った声が聞こえてくる。
「お前、新入りか」
同年代くらいの男の声。
「名前は?」
これまた同年代くらいの女の声。
「……ヴィークラム・バルガス」
虚ろな声で答えると、男の方が呟いた。
「名前は二つも要らない」
「どっちか一つ棄てちゃいなよ」
女の方もそんな風に言ってくる。途方に暮れながら彼はしばらく考えて、見えない同胞に返事した。
「じゃあヴィークラムでいい」
「どうしてそっちを取ったの?」
「奴隷だった母にもらった名前だ。平民の父にもらったのよりはいい」
あまりにもとりとめのない声。奥の方でうめいている連中と大差ない。
「あんた、今望みはあるの?」
女の方が落ちついている。
「そんなもの――」
帰る家も、守るべき家族もない身だった。自分が罪を犯して特別迷惑をこうむる存在もいない。そんな自分でもまだ望みがあるとしたら。
彼はたった一つの心残りを見つけ出した。
「――いや、まだここで終われねェな」
だんだん声がしっかりしてくる。彼の心にひっかかっている少女は、あの後一体どうなってしまったのだろう。
「もう一度会わねェことには」
彼の眼に光が戻ってくるのを、他の二人も感じたらしかった。
「俺たちも奴隷のまま終わる気はない」
男は確固とした口調で彼に呼びかける。
「いいか、向こうでうめいている連中みたいにはなるな。人間でいろ」
<第一章・了>
「鎖とその男に関する記録 / 第一章」