聖域の子供達 その4

 夕暮れの廃墟はどうして見つめているとあの世に繋がっているような気がしてくるのだろうか。炎と血の中間くらいの色をした夕日。そして虚無を含む影。さすがに足元の瓦礫は撤去され、今となっては街も雑草の侵蝕に犯されつつあるようだ。
「私こんな所に土があるなんて知らなかったわ」
 ユリシーズが足元の土の地面を見て言った。
「コンクリートって剥がれちゃうと大したことないのね」
 暗い赤土の上に草は伸び、申し訳なさそうに花が咲く。おれもユリシ−ズの言葉には共感できるものがあった。
「おれは今の方が街がきれいになったと思うんだけどなあ。何か、街が蘇りはじめてるみたいでワクワクしないか?」
 冷ややかな少女の視線。
 クサかったかなと内心反省した。ユリシーズは時々おれや他の二人より、ずっと大人に見える。女だからだろうか。しかしだからと言って萎縮するわけにもいかない。
 おれが言うまでもなく廃墟は不思議な場所だ。きれいだと信じて見れば圧倒的にきれいだし、汚いと思い込めばどうしようもなく汚い。彼女の醒めた顔からしてユリシーズは後者だろう。
「確かに、もうすぐ本物の廃墟になりそうな勢いよね。そうなったらボビーの言うとおりここもきれいになると思う。
 でも、今のこの場所はきらいよ。人の死んだ匂いがするし、どこも蝿が一杯だから」
 痛いところを突かれた。


 地震によって一気に寂れたこの都市の一角で、カフェ「ぺぺ」はとりあえず再開されていた。おれもユリシーズもここに来るのは久しぶりだ。プレハブ小屋にゴーグが芸術家さながらに腕を振るい、「ぺぺ」は昔の面影もわからないほどサイケデリックな風貌に塗り替えられてしまったらしい。瓦礫の中でどう見ても浮いている華美な存在に、立ち寄る人々は束の間現実を忘れる。
「よう、お二人さん。仕事ははかどってるか?」
 狭い店内はなぜか客で超満員になっていた。騒がしい。中でミラーボールでも吊っているようだ。入った瞬間にヤニと酒気と体臭の混ざった匂いが溢れかえる。ヤクと化粧の匂いもだ。怪しい煙たっぷりの視覚も伴っているから慣れないとキツい。一瞬気管が拒絶反応を起こすほどだった。
「うわ! ……ゲホ、何なのよこの場所は!」
「すごいだろう。蝿でさえ逃げるからな。楽でいいぞ」
「二酸化炭素が多すぎるのよっ!!」
 確かに天井からショッキングピンクの蝿取り紙が何本も垂れ下がっているが、ニ・三匹しかついていない。こんなところにわざわざ窒息しに来た歴戦の勇者(ハエ)を思い、おれは思わず苦笑いを浮かべた。
「幻覚とか見ながら死ぬハエも不幸だよなあ」
「なあに、悪夢でも夢は夢だ。ないよりマシさ」

 ゴーグはカウンターの所で酒を飲みながら、楽しそうに客を眺めて自分の語りを展開していく。
「どうだ。お前ら人生は楽しいか」
「最低よ」
 束の間の享楽の中でゴーグは笑う。このおっさんはいつもながら冗談抜きで酔狂だ。「いいじゃないか最低。最低のときこそ人生の決め時だと俺は思うね。そんな時にこの店に来てればなおのことだ。見ろよ、周りの連中を」
 おれたちはゴーグに言われるがまま周りを見渡した。およそ子供には向かない場所だ。安っぽい色とりどりの人々が安っぽい照明の中で酔っ払い、煙草をふかし、ヤクを決めては熱っぽく乱痴気騒ぎに走る。安っぽい色をした欲望のるつぼ。
 ゴーグはこういう場所にこそ人の再生があると言った。
「バカ騒ぎっていうのはな、人間にとって何よりも大事な本能的活動の一つなんだ。だから最低な時にこういう所へ来る奴は正しい」
 廃墟の中の狂った楽園。それでも皆には踊り騒いで欲しい。たとえ明日死ぬとしても今は精一杯自己主張して、生きてることを証明して欲しい。
「生き様なんて問題じゃないんだ」
 ゴーグの顔にはぼちぼち酔いが回ってきていた。おれはでっかい子供のようなゴーグを妙におかしく感じた。ませた顔でそれをあしらうユリシーズと目が合うと、二人とも笑いが大きな泡のように呑気な弾け方をした。
 意外なほど笑いが胸に重かった。束の間、胸が埋まっていた。

 その時だった。

「いやあ、あれは実に素晴らしい感覚だったよ。あまりの快感に我を忘れるというやつだ。恍惚の極致だよ。あれほど官能的で興奮する行為は他にないね。ほほほ……」

 遠くの脂ぎった中年の顔に何かを感じ、戦慄した。
 澄みきった、吐きそうな死臭だった。泣き叫びたくなるほど暗く凍りついた映像。ベンの潰れた死顔が、一瞬で甦った。

 客席の一つを憑かれたように凝視するユリシーズの顔は小さな鬼神そのものだった。ゴーグはそれが誰を見てのものか見分けがつかないらしい。だけどおれにはすぐに相手がわかった。目で見るというより、死臭で嗅ぎ分けたという方が正しかった。どんな集中の仕方をしたんだろう。喧騒の中で、目と耳が豚の言葉を正確に拾ってゆく。

『……それにしてもいい子だった。まだ十二歳の子供だったみたいだがね。何ともいえない表情で私に仕えてくれるんだ。商売なのに何とも辛そうで、屈辱で顔が歪んで、それ以上の恐怖で怯えていて、泣きそうな顔を浮かべていてね。あんな顔で咥えられたらたまらないよ。
 だけどねえ、外でやろうって言うのに嫌がったから、おいたが過ぎてしまった……』

 妄想に一人卑しく悦んでいる顔。
 あの豚、思い出しながらベンを犯ってやがる。泣いて命乞いをするあいつを、死臭の中で、何度も、何度も、何度も……

 煮えたぎる心臓を傍らに置いておれは必死で身体をなだめ、じっと相手の姿を確認した。一介の殺人者のように、呼吸を整える。おれの左腕は動かない……頭の片隅で確認する。
 目を伏せて深呼吸すると、ベンが身体に居るのを感じた。ユリシーズが流れるような動作で厨房に入っていく。
「おいボビー、どれだ?」
「奥の四人掛けだよ。ゴーグさん何でわかんないの」
「何でって……」
 ユリシーズが何をしに行ったかはわかっていた。止める気が完全に失せていた。

「おい、ボビー。どこ行くんだ」
 胸のなかのベンがあいつだって言ってるんだ。
「……止せ。止すんだ。そいつはチンピラじゃないぞ」
 ユリシーズがトレーに包丁を隠して戻ってきた。おれはポケットを探り、喧騒の中でナイフを出す。
「そいつはヤバい」
 ベン。お前は心の中で哀しんでるかもしれないな。お前はきっと天国行けたんだろ? おれたちはそっちに行けそうもない。ごめんな。
「おい、お前ら止まれ。……ユリシーズ!! ……ボビー!!」


 殺すしかないよ。こいつ


 おれたちのなかでその行為は悠然と行われた。
「何だね? 君たちは」
 ユリシーズがトレーを捨て、目の前の豚に包丁を突き刺す。光の尾を引いて刺さる刃先。怒れるユリシーズの雄叫び。
 周りの人間たちが一斉に反応する。ゆっくりと。俺はその間隙を突いて豚を横薙ぎに切りつける。豚の悲鳴。人の悲鳴だという気がしなかった。
 しかも、浅い。
 厚い脂肪のせいで致命傷まで行かなかったんだ。「畜生」と叫ぼうとしたが出たのは怒号だった。もう一回切りつけようとして、無理やり後ろへ引き戻される。
 放せ。おれの邪魔をするな。声無き叫びを何度も上げ豚に突進しようとすると、引っ張られて左肩の裂ける音がした。

「てめえ、よくも先生を殺そうとしやがったな!!」
 四方八方から蹴りが飛んできて身体中を壊されそうになった。肩の傷口が開いて二度と感じたくなかった激痛が戻る。動けない。腹を蹴られて声の代わりに胃液が出てきた。胃液が終わったら血へドが出てくる。息ができない。
 全身を突き抜ける悔しさに涙をこらえられなかった。ユリシーズの悲鳴が聞こえる。俺とは異質の、恐ろしい悲鳴。
 どこだ。ユリシーズ……

「もうやめてくれ! そいつらはヤクのやり過ぎなんだ。勘弁してやってくれ、わざとじゃないんだ!!」
 ゴーグさん、何をおかしなことを。あんたまで殴られて。
 そう思った俺の前で、ユリシーズが倒されるのが見えた。破られた服。腫れあがった顔。上にのしかかるやくざ者。何をする気か一瞬わからなかった。犯す気じゃあないんだ。それはわかっていた。だって男は包丁をユリシーズの顔に当てていたんだから。何かを切ろうとしていたんだから。
 悲鳴と怒号と喧騒の中でおれは無音の世界にハマり、男は包丁でユリシーズの右耳を根っこから引きちぎる。

 耳の断面があらわになった刹那、血がどぼっと流れ出す。ユリシーズの悲鳴があまりにも恐ろしすぎて、おれの理性は完全に吹っ飛んだ。


 ……「ケイサツダ! ケイサツガキタゾ!!」
 ……だれの、何語だっけ?
 血があんなに出てて、大丈夫なのか? だれなのか思い出せないんだ。耳をちぎられた血だらけの君。それとさっきなぐられてたあんた。それと、何語かわからないお前。なんでおれこんな修羅場を見てるんだろう。思い出したらヤバいような気がする。何にも思い出せない。真っ白だ……


 何語かわからないやつがおれを殴った。

 何の衝撃でおれが戻ってきたのかわからずにいると、エリックがおれの肩をゆすぶって泣き叫んでいた。
 何なんだ。何なんだよ。おいお前何なんだよこれは。何なんだ。何だってんだ?!
 血だらけのカフェの床。身体がギシギシ痛くて頭も馬鹿みたいに呆けていた。あのおっさんは、あの女の子はどこへ行った?
「ユリシーズは……」
「馬鹿野郎!!」
 殴られて記憶の傷口が開いた。しばらく直視できずに呆けかかり、やっと、我にかえる。思い出した途端全身が急に震えだして止まらなくなった。エリックが俺の前で泣きじゃくる。泣いて、怒り狂っている。叫びが言葉になっていなかった。初めて見る顔だった。
 思考回路が痺れてついてゆかない。
「どうすりゃいいんだ」と言って我ながら何のことを言っているんだろうと思った。頭の中からベンが消えて出てこようとしない。聖書の言葉さえも、今となっては記憶の彼方でおれたちを忌み嫌っているような気がした。


「聖域の子供達」


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