夢の最果て その3

 三人の間に決定的な事件が起こるまでに、そんなに時間はかからなかった。ヒスイとクローブが沈黙したままテントの中で眠り、明け方にお腹を空かせてサンゴが目覚めた。サンゴはその時の異常を他の二人ほど恐れていたわけではない。なぜなら、テントの外に映る影の正体を彼女は知っていたからだ。母親に捨てられ泣いていた自分にいち早く寄り添い、やさしく顔を舐めてくれた。人間の母親よりやさしかったものたち。
 テントの中のランプの燃料が切れた朝方に、サンゴはケモノたちに攫われた。昼間の負担の反動でヒスイが熟睡しきっている隙にテントの入り口とは反対の裂け目を押し広げてケモノが入ってきたのだ。ヒスイとクローブがサンゴを守ろうとして一番奥に寝かせていたのが逆に仇になった。物音に気づいてクローブが起き上がった時、サンゴは既に裂け目の向こうでしっかりとケモノに抱かれ不思議そうにこちらを見ていた。
「サンゴ!!」
 クローブの絶叫でヒスイが反射的に跳ね起きたのとテントに数匹のケモノが飛びかかってきたのが同時だった。しかしケモノたちの襲撃が今までになかったわけではない。二人の事態への対処は早く、どうにかケモノたちを振り払ってテントを出る。入り口から出たクローブはポケットからライターを出すと持ち出した枕に迷わず火を点け周りに火を移して回った。裂け目から出たヒスイは裸足のまま夢中でサンゴを追いかけていた。
「失せろ! 死にたいかお前ら!!」
 ケモノは手負いや弱った人間でなければむやみには襲わない。火が出ると逃げ失せるのもあっという間だった。自分の恫喝でケモノたちがぱっと散っていくのを確かめるとクローブはその場に枕を投げ捨ててテントへと急いだ。
 いまいましい舌打ちと八つ当たりされた空き缶の弾ける音。
 えげつなく荷物から掻き出された食料が戻ることはないだろう。思わず我を忘れて怒りを辺りのゴミにぶつけたのは大切な水が大部分無くなっていたからだ。さらに替えの防塵マスクも全部一緒に奪われ、噛みちぎられ、残ったものは投げ捨てられて地面の毒水を吸ってしまっていた。
「畜生!! 今度見つけたら焼き殺してやる」
 言葉が口から出てからクローブは後悔した。ケモノを焼き殺すことに対してではなく、無駄なことを言った自分の口に。そんなことを言っても何も解決しないのに。
 ヒスイはクローブがケモノに冷たすぎると言うが、クローブにしてみればそんなことを言われてはたまったものではなかった。ヒスイはケモノを知らなすぎる。ケモノの本性を見たら、誰だってケモノを忌み嫌うようになる。ケモノの本性が剥き出しになるあの場面を見てしまったら……。
 ヒスイが幼かった頃、ケモノを見て「あれも人間だ」と言ったのを思い出す。
「あれが人間だからだ」
 クローブは自分がケモノを死ぬほど嫌っているのを隠したりはしなかった。ケモノが人間に創られたものであることには同情しても、彼らの行為を受け容れることは絶対にできない。クローブの記憶は既にそれだけのものを知ってしまっている。
 火がテントに燃え移る前に必要最低限の荷物をまとめるとクローブはヒスイの走っていった方向へ走り出した。咄嗟だったとはいえ危険極まりないゴミの大地を素足で走って無傷でいられるはずがない。案の定朝方の青みがかった地面には途中から黒い染みが点々と落ちていた。ヒスイが地面から突き出したガラスか金属の破片で足を傷つけ、そのまま走り続けたのがすぐに想像できた。
 黒い染みを辿っていき、ひときわ大きなゴミの丘の上まで登ったところでヒスイの姿がクローブの視界に入った。ヒスイは丘のふもとで黒いものを抱いて座り込んでいる。あやうくゴミと見間違えそうなほど全身が汚れていたのは、ケモノと格闘したせいかもしれない。ケモノの姿は消えうせていた。
「大丈夫か」
 こちらを振り向いたヒスイが抱いていたのは、やはり無事なままのサンゴだった。機嫌が悪そうな顔をしているのはご愛嬌といったところ。ただそれに比べてヒスイはかつてなく不安そうな目をしている。問題はむしろ悪質だった。
「マスクがない」
 クローブの足はそこで止まった。
「俺のは無事だったけど、サンゴのがない。盗られた」
 ――気道が詰まって息が止まるような錯覚をおぼえた。
 ゴミの大地は毒ガスと灰燼と病原菌の天国だというのに。頭を切り離して事務的に考えさせるならこうだ。予備のマスクはさっき全部駄目になった。極限状態で体に色々な抗体を持っているケモノでさえ、マスクを剥がされて半月ともった例がないのだ。人間が長時間マスク無しでいたら命に関わる。二つしかないマスクで、足に傷を負ったヒスイと赤ん坊のサンゴとの三人で、ここから数十キロ離れた町まで……歩く?
「無理だ」
 地平線に朝日がいよいよ昇ってくる。一度太陽が出たら最後、このゴミの大地の気温は一気に摂氏五十度以上にまで上昇し日没まで下がることはないのだ。ヒスイの腕の中のサンゴは剥き出しの口で泣き声をあげ始めていた。




 ほぎゃあ。ほぎゃあ。ほぎゃあ……。




 生きるためなら




 生きるためなら……。




 死をめぐる狂気の記憶があった。
 自分の命の下に積み重なった命の存在をクローブは知っている。
 最後に後ろを振り返ったあの日から




 その時、昇り始めた朝日の中でヒスイは確かに見た。サンゴを見つめるクローブのまなざしから体温がどんどん無くなっていくのを。
 クローブ自身が意図的にそうしたのだ。生き延びるために。
「サンゴを捨てていく」
 それは悪魔の決断だった。そして、クローブならそれができることをヒスイは他の誰よりもよく知っていた。
「嫌だ」
「三人共生き延びたいならそうするしかない。二つしかないマスクを交代でつけても町に戻る前に共倒れになる。サンゴ一人なら最低でもケモノに喰われることはない」
「嫌だ!!」
 我が儘な子どもがだだをこねているだけなのか。ヒスイは自分のマスクをむしり取ってサンゴにあてがうと彼女を強く抱きかかえ、血が流れたままの右足を引きずって二・三歩後ずさった。
「死ぬなら俺が死ねばいい。こいつを犠牲にするくらいなら死んだほうがましだ」
 暗い火花。若すぎる台詞がクローブの記憶をかすって激しく爆ぜる。何かが彼の理性のタガを外し、眠っていた奔流のような怒りを蘇らせるのがわかった。
 何の躊躇もなかった。彼はサンゴを無理やりヒスイからひっぺがすとそのまままるでゴミのようにその辺へ投げ捨て、さらに掴みかかってきたヒスイを容赦なくゴミの上に殴り倒した。ヒスイはクローブに真剣に殴られるのも初めてなら、クローブが逆上したのを見るのも初めてだった。
「今死ぬって言ったか」
 死ぬって言ったかよ。おい。
 ……手負いのヒスイをクローブは殺す気で殴り続けた。マウント・ポジションをとって上からのしかかり、無我夢中で身を守ろうとするヒスイの腕を折らんばかりの勢いだ。朝日が二人を無視してどんどん昇ってゆく。
「お前死ぬことがどういうことか解ってんのか? 人の死ぬところなんぞ知らんくせに、お前は今自分が死んでもいいって言ったのか」
 だったら今死ね。俺が殺してやる。
 気がつくとヒスイは必死でクローブの攻撃を逃れようとしている。口の中が切れ、飲み込みそうになった血を咄嗟に目の前のクローブに吐き出した。無数の鮮血が一瞬宙を彩ってクローブの目を潰した。
「俺だって死にたくねえよ!!」
 叫んだ後に思いきり吸いこんだ腐敗ガスの圧倒的な不味さ、苦しさ。この世界のどこにも澄んだ空気などありはしないがそれでも澄んだ空気を求める肺。こんな時どうすればいいか、何もかもヒスイは目の前の男から見て学んだ。巻き込むようにして無理やりポジションをひっくり返し、クローブの襟元を掴んでたぐり寄せ拳で喉を潰す。むせ返ったクローブから逃れたヒスイは、もう少しで、クローブから防塵マスクを奪って逃げ出すところだった。
 ヒスイがそうせずにクローブの前で身構えるだけに留めたのは彼がまだクローブとの対話を望んでいたからだ。また、そうしなければ彼は自分の誇りを守ることができなかった。彼が一人の人間としてクローブと対峙するためには誇りという後ろ盾がどうしても必要だった。
「そんな、なりふり構わず生きるとか、そんなんじゃない。生きるためだったら何やってもいいってのが許せないだけだ」
「今のお前にはそれさえできてないんだよ」
 今まで一度でも俺が自分から死ぬって言ったことがあるか。サンゴもそうだろう。今まで一度でもあいつが自分から死を選んだことがあったか……クローブのまなざしは爆発を終えた後も蒼く燃え続けてヒスイの目を射すくめる。
「お前はまだ人の死の重さを知らない」
 磐石の重みがある台詞。
 彼の執念を止められる人間などもはやこの世にはいないのかもしれない。クローブの魂はいよいよ鬼気迫って、触れるものを跡形もなく消し飛ばしていく。型通りの正邪も欲望も道徳も破壊する。
「俺は海へ行く。こんな所で死ぬわけにはいかない」
「あるのかよ海なんて」
 それでもヒスイはクローブの狂気の前に立ちはだかった。クローブの真っ蒼な目を見据えると足が震える。魂の迫力でとうてい敵わないことを知っていて、それでも立ち向かう。
「クローブさん……目ぇ覚ませよ。海っていうのは、まだ動けない赤ん坊を見殺しにしてまでして行く所なのかい。違うだろ。キャラバンの人たちの希望だったんだろ。人間を捨ててまで追いかける希望のどこに意味があるんだ」
「希望が血を流し過ぎた。見つけなきゃ意味がない」
「俺は要らないよそんなもの!!」
 叫ぶ度に腐敗ガスを体にめいっぱい引き受ける。
 呼吸系統が緩慢に、しかし戻れない方向で汚染されていくのが予測できる。
「たしかに、俺はキャラバンの人たちが死んだところなんか見てないよ。クローブさんの気持ちだって、半分は分かるけどあと半分は分かってやれない。死んだ人たちのこととか言われても全部はわからない。
 でもこれ以上人が死ぬのは嫌だ。人が死ぬかもしれないのに見殺しにして、自分だけ助かるなんて嫌だ。自分だけ助かって、何にも後悔しないで希望なんか歌っていられる人間にはなりたくない。キャラバンの人たちもそうだったんだろ。あんたも」
 遠くでサンゴが泣き叫ぶ声が、今までで一番良く聞こえた。
 ヒスイの魂を洗う声だ。そしてそれはクローブの魂を洗う声でもあると信じたい。
「俺はキャラバンの人たちのこと好きだよ」
 クローブの目から束の間狂気が消える。一瞬だけ見えたクローブの素顔の下で、ヒスイは彼の記憶の一端を見た気がした。
 心の美しい、かけがえのない人たちを失った。深い哀しみの蒼。
「生きてくために必要なことを、キャラバンの人たちに教えてもらった。美しいものを知ってるやさしい人たちだ。俺はあの人たちに教えてもらったことを守りたい」
 あの人たちならきっとサンゴを捨てなかったよ。
 最後にクローブの狂気を鎮めたのはその一言だった。




 海なんかなくてもいいよとヒスイは言う。
 初めて、真っ蒼な目をした。




 海は必ずあると信じて歩き続けることを、やめたりはできなかったけれど。




 そう。狂気がゆき過ぎてからも
 ヒスイとクローブはとうとう完全には解り合えなかった。
 優しさは、優しさがもたらす愚かさは、いつか必ず人を殺す。
 クローブはそれを知っていたけれど。
 何も言わなかった




「そこで待ってろ。もう一度だけ替えのマスクを探してきてやる」
 クローブはヒスイにサンゴを抱かせると一人テントのあった方へと引き返していった。ヒスイはヒスイでやっとサンゴを守り抜いた安堵感に包まれ、クローブの姿が見えなくなった途端に腰を抜かしてその場に座り込んでしまった。大き過ぎるマスクを被ったサンゴがひたすらヒスイの腕のなかでむずがっているのを見ると、遅れていた達成感が地面から体へと這い上ってくるのがわかる。
「……へへ。良かったなあ。サンゴ」
 ヒスイは少しずつ一人前になってゆく。不毛を極めるこの時代だからこそだろうか、ヒスイの体と魂は迷うことなく一番良い方向へと伸びる。何の祝福もありはしないこの世界をありのままに受け取めて、栄養になるものは自らの手でむしり取っていく。
 ヒスイにとって海はあってもなくても関係ないものだ。そんな所に全ての希望を賭けなくとも彼は自分が自分の意志で歩いてゆければ、それでよかった。それに今は守るべきものがある。自分の内面から不思議な力を呼び起こすちいさな命。
 クローブが自分を拾った時も、こんな感じだったのかもしれない。昔のクローブは厳しくても必ず優しかった。自分が倒れた時には何度でも小さな自分を膝に乗せておもしろい話をしてくれた。今では死んだ爺さんよりも長い時間を共にしてくれた、大切な二人目の家族だと思っている。
「俺もあんな風に蒼い目で遠くを見たい」
 ヒスイは、知らない。さっき自分が蒼い目をしていたことを。それがクローブに何を思い出させたかを。そうしてクローブが一人で荒野を歩いているところは想像できても、青年は彼のその姿に隠された本当の意味にまで思いをめぐらすことはできない。
 灼熱の太陽は絶望の大地を遥か遠くまで照らすけれど。
 クローブのあの目だけはその向こう側まで見えているような気がするのだ。そんなにも遠くまで見えるということは、人を狂わせるのだろうか。そこに何が見えていても人は狂うのだろうか。それでもあの蒼い目に憧れる自分は、一体何なのだろう。
 雲のうつろいと共に丘の下には澱みきった空気が打ち寄せられてくる。地表をわたる熱風が有毒物質を低い場所へ溜め始めているのだ。ヒスイは苦しくなってくる呼吸に耐え切れずにサンゴを抱きかかえ、傷ついた足と重い体を引きずって丘の上へ登っていった。丘の頂点に達した二人をひときわ強い熱風と容赦ない日差しが祝福し、目の前には果てしなくゴミの惑星が開けていた。そしてその中でぽつんと途方に暮れている、一匹の小さないきもの。




 二人の視界の遥か彼方で、クローブが祈っていた。
 祈っているように見えた。風の中でゴミの大地にひざまづいて、見上げるものを焼きつける海のような空を見上げて。紫外線に目をやられるのにも構わずに「賢者の石」を握りしめている。彼の掌の中で賢者の石が海に写る太陽のようにぎらぎらと光を反射させ、ヒスイとサンゴの目を眩ませた。
「クローブさん」
 こちらに気がついた時のクローブの目を蒼過ぎると思った。深海の淵を覗き込んだときのように、自分の心の奥底まで見られたような気がする。自分たちの目指す海は決して夢と虚飾の産物ではないのだと、無言のなかで思い知る。
 瞬きをしたクローブの目はあっという間にいつもの焦げ茶色に戻っていた。彼はその場に立ち上がってゴミの大地の空気をゆっくりと吸いこむと、その不味さに目を細めてつけているマスクに手をあてがった。もちろんマスクを外したところで清浄な空気は吸えない。窒息しそうな苦しみがいや増すだけだ。
「一つだけ、使えそうなやつが残ってた。お前も確認するといい」
 こうしてヒスイの手には無事にマスクが手渡された。ヒスイはマスクを慎重に点検し中のフィルターの白さに心の底から安堵した。
 マスクさえ見つかってしまえば、後はあっけない。クローブとヒスイとサンゴはいつものように町を目指す。足を前に出さなければ前へ進めないことはわかりきっているのだ。摂氏五十度以上の腐った虹色の大地を踏みしめていく。
 町までの道中の間にヒスイとクローブは何事もなかったかのようなやり取りを何度も繰り返した。クローブのよた話には終わりがなく、ヒスイもまた辛抱強くそれを聞くことに慣れきっていた。いつかサンゴが大きくなったら今度はヒスイが同じ話を何度も繰り返すのだろう。幼いサンゴをひざに乗せて、賢者の石を握らせて。キャラバンの人々が繰り返してきたことは知らず知らずのうちに子どもたちによって受け継がれてゆく。
「クローブさん」
「うん?」
「俺はどうやったら蒼い目を持てるのかな」
「何だそれ? お前の目は何をどうしたって翠色のままに決まってるだろ。そういうことは蒼い目の奴に訊け」
「だからあんたに聞くんじゃないか」
 クローブはヒスイの言葉をはなから真面目に聞かないでどんどん先を急ぐ。自然と勢いづいた彼の手が時々勝手に暴走してびりびりと震えているのが、ヒスイには哀しい。
「俺のは焦げ茶だろうが。サンゴの目は緋色だし、お前の目は翠って言ったら翠なんだ。町に着いてから考えろ。ここには蒼目の奴なんかいないんだから」
「だからそうじゃなくて」
 クローブは大切なことには何も言わない。今までもずっとそうだった。大切なことは全部沈黙の中から自分で掴み取る……それがキャラバンの掟。
「自分で考えろ。それ以上は言えん」




 ぶっきらぼうな台詞でクローブがそこまで言ってくれたのは、その時だけだった。ヒスイはそれに気づくこともなくクローブの不親切さにふて腐れて、慣れた調子で「ずるいよな」と言っていた。
 話の間を突くようにクローブは咳き込み続けている。ヒスイがふて腐れたままで「調子悪いんなら休もうぜ」と声をかけると、逆に「まだまだ」と反発された。
「あんたが倒れても引っ張っていくのは俺なんだからなー。クローブさんそろそろ歳考えようよ。これからは俺の時代だよ俺の時代」
「生意気ぬかすな」
 返事の口調はどこか笑っていた。若者の強がりを見透かしていて、そのくせ前を見つめる顔は楽しそうだ。わかったそぶりをされて余計にヒスイがふて腐れるのも楽しい。笑えば余計に後が苦しくなるのに笑ってしまう。
「笑うなよ。俺はもう子どもじゃないぞ」
「……ああ、そうだな。もう見た目だきゃあ大人だ」
 いつの間にこんなにでかくなってたのかねえ……クローブが後ろを見ると、そこには逞しく育った立派な若者の姿がある。そしてきっとその後を継いでゆく、小さな命も。
 クローブは二日後にようやく町に辿り着き、その日の晩に血を吐いた。
 ヒスイと一緒に水を飲んで少しむせただけだったのに。地獄の沙汰みたいに胸を掻きむしって咳き込み続け、ついに肺の中が裂けた。「空気、空気」と息が止まりそうになりながらもがくがきれいな空気などあるはずがない。真っ青になって苦しみ続けるクローブの前でヒスイもまた顔面蒼白になる。
「クローブさん、あんた」
 苦しさのあまりクローブは血に塗れた手でヒスイのマスクをむしり取る。そうして無我夢中でマスクから息を吸った彼が少し調子を取り戻すのを、ヒスイはずっと見ていることしかできなかった。
 クローブはどんどん黒い血を吐く。肺に溜まった毒素を抜くために。そうやって血を吐き始めたら人間はもう長くないとヒスイはクローブから聞いている。


「夢の最果て」


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