冷日の魔道士 第三章:運命

 突然の階級昇進にはいい思い出がない。それはまるで自分が人間でなく”兵器”でしかないのだと思い知らされるようで、いつだって暗鬱とした気分をもたらした。人間らしい所作で昇進できたことは一度もない。人間らしい古代魔法使い(エンシェント・マスター)など軍にとっては不要の長物でしかないし、自分が人間らしさを取り戻せばその分誰かが代わりに人間らしさを失うよう強要されるのだろう。
 共和国軍の駐屯地から退出して森道を歩くレモの背中で、禍々しい外見の杖が重低音の唸りをあげている。始めは小さかったものが徐々にヴォリュームを上げてきている感じだ。フォーナックスは珍しそうにその様子を見ていた。真っ黒な粗っぽい鉄の棒の中から悪魔がこしらえたようなケロイドがこぶのように出っ張っていて、さらにその先にある大きなざくろ石(ガーネット)を咥えこんでいる。あまつさえホルダーの中で細動さえ起こしているような……
「触るな」
 フォーナックスが思わず手を近づけようとしたところへレモのきつい声が飛んだ。杖は相変わらず微妙な細動を起こしながら重低音で喚きたてている。
「お前みたいな奴が触ると拒否反応が起こる。こいつの火傷は簡単には治らんぞ」
 この世界の常だが武器や防具にも善悪に近い属性があって、それがあまりにも使用者の属性と相反するものだと一般に言う”拒否反応”が起きる。触った人間の体調が悪くなったり呪われたりするのだ。これに対しては呪詛祓い(ディスペル)意図的な汚濁安定(ポリューション)で対処することができるが、これらの処理を施した武器・防具はそのほとんどがそれ以前の強大な力を失う。
「うるさいよ。少し黙ってろ」
 レモの背中の杖は一向に重低音を取り下げようとはしなかった。音の波動が心臓に直に届く重さになってくる。フォーナックスが悪心を起こしてレモから遠ざかる。
「”ベト”!」
 レモが杖に向かって語りかけていることは今や明白であった。”ベト”と呼ばれた杖が抗議するように一際大きな音を出したような気がしたが、気のせいだろうか? 重低音はますますフォーナックスの心臓に負担をかけてくる。心臓発作の前にはこんな風に胸の調子がおかしくなると誰かが言っていた。
「クラックス、杖が」
「分かってる。今収める」
 レモは青ざめたフォーナックスの顔を見てこれ以上は無理だと悟ったのか、腰の短刀(アサメイ)を抜いていきなり自分の左腕を撫でるように切りつけた。左腕から黒ずんだ静脈血がしたたり落ちるのを確認して、背中の杖を抜く。レモが杖を握った途端に彼の腕から流れる血は意思を持ちはじめていた。一滴の逸脱もなく、重力に逆らって腕を這う赤い蛇のようにゆっくりと杖の先端部分を目指すのだ。先端のざくろ石(ガーネット)に触れた血はざくろ石(ガーネット)の表面を伝ってきれいに杖の中へと吸いこまれてゆく。
 それは一種異様な光景だった。レモは自らの血を杖に飲ませているのだ。赤ん坊の喚き声のような重低音はたちどころに消えうせ、杖の先の宝石がずるずると彼の血を啜っている。悪心から開放されたフォーナックスは息を取り戻しながら気味の悪い思いでその姿を眺めていた。レモは半ば瞑想して、眠りかかっているように見える。


 レモの使っている杖は、その名を「ベト」と言った。古代語で「家」という意味がある。俗称は「愚鈍なる血の杖(エーイーリーズブラッド)」もしくは略して「血の杖」。古代魔法使い(エンシェント・マスター)はおろか名のある魔道士なら誰でもその悪名を知っている伝説の杖だった。誰の制御下にも入らず、自らの意思で戦場を彷徨っている。惨たらしく死んだ人間の新鮮な血を吸うために次元すら超える魔力を持ち、手に入れた人間には必ず無類の力を約束すると言われていた。
 逆算された運命はレモに奇妙な出会いをもたらす。五年前、第三次世界大戦(サード・ラグナロク)の緒戦となった戦いの前日にあるジプシーがレモを尋ねた。名前をエリダヌスと言い、それまでレモとは会ったこともなければ名前を聞いたこともない間柄だった。エリダヌスは自らの占いによって受けた神託だけを頼りにレモを探し当てたのだという。美しいが年齢の判らないミステリアスな顔をすっぽりとヴェールで隠しているのが印象的だった。
「この宝石を在るべき人のもとへ返すようにと神託があったので」
 エリダヌスは懐から大きな人魚石(アクアマリン)のペンダントを取り出すと、「あなたのものだから」と言ってレモの手にそれを預けた。レモ本人が突然の成り行きに首をかしげていようが関係ないらしい。当時のレモは技術と野心こそあれ、地位も名声もないただの二等兵魔道士だった。
「俺はこんな宝石知らないし、あんたも知らん。受け取れないよ」
 恐ろしく清らかに光る水色の宝石。素人目にも高価であろうことは予測できたし、魔道士の目は既にそれ以上の力を感じとっている。持っているだけで精神が浄化され研ぎ澄まされていくのがわかるのだ。魔法装飾(マジック・アイテム)としての価値も並大抵のものではなさそうだった。
 エリダヌスは超然とした運命を知っている者独特の静かな目でレモを見据え、自分が受けた神託を率直に遂行した。
「明日、あなたの運命はがらりと変わってしまう。いずれにせよあなたは生か死か選ばされることになるわ。その時にこの宝石が必要なの。あなたが運命を受け容れるために」
 ぎょっとした。エリダヌスの予言は呪文のようにひどく重く、逆らえない何かを帯びてレモの脊髄の中を冷たく走り抜けた。
「その宝石の名前は”コクマー”と言います。知恵という意味があるの……文献では”智天使の魂(ソウル・オブ・オファニム)”になっていると思うわ。でもあなたにその時が来たら、”コクマー”と呼んで。必ずあなたに応えるはずだから。決して片時も体から離してはいけませんよ」
 自らの使命を終えた彼女はレモのことを心配そうに見つめながら、淡々と軍の宿営地を離れて自分の村へと帰っていった。翌日共和国軍の宿営地に帝国軍の奇襲があり、これをもって共和国軍と帝国軍との第三次世界大戦(サード・ラグナロク)が開始される。
 愚鈍なる血の杖(エーイーリーズブラッド)がレモの前に出現したのはその戦場の真っ只中であった。まったくエリダヌスの予言の通りだったと言える。鉄の柱から悪魔のケロイドを露出させた禍々しい杖に、レモは魅入られてしまった。手に入れることができれば世界を握れる魔力を持てる杖。にもかかわらず場所が特定できないこの杖に出会えた自分の悪運を、彼はこの時心の底から喜んでいた。
 戦場の中で辺りに流れた兵たちの血を根こそぎ集めては吸い尽くしていた杖。兵士たちの怒号が飛び交う中で衝動のままにその杖を掴むと掴んだ腕から黒い力が逆流してくるのがわかる。拒絶反応はなかった。
 試しに杖の先の宝石に神経を集中し、エネルギーを凝縮してみる。軽い抵抗とともに極めて高濃度の魔法弾(マジックミサイル)があっという間に発生し、レモの命に従って帝国軍の中へ音速で飛び込んでゆく。
 天を刺す黒い閃光の後に凄まじい衝撃波が戦場を凪いでいった。
 一発で帝国軍の人間を百人ほど跡形もなく吹き飛ばした。桁違いの魔力が無名の魔道士にもたらした狂喜の大きさは計り知れない。まるで全能の神にでもなった気分で、五千人以上いた帝国軍の半数近くをことごとく暗黒の業火で殲滅し肉片に至るまで焼き払った。帝国軍の奇襲は失敗に終わり、共和国軍の兵たちから勝ち鬨が上がる。レモはこの戦いの英雄として以後共和国中の隅々にまで名を残した。


 それが愚鈍なる血の杖(エーイーリーズブラッド)の陰謀だったことをその時のレモは知らなかったのだ。愚鈍なる血の杖(エーイーリーズブラッド)とは、そのように生半可な属性の杖ではない。


 共和国軍の勝ち鬨の中で運命的な戦いを終えたレモはその場にどてんと座りこんで、自分のしたことを信じられない様子で眺めていた。気がつかないうちに体の隅々まで鉄のように重くなっている。この杖は破壊力と同時に戦いの後の疲労感も格別であるらしい。あるいは自分があまりにも興奮していたのか。
 とにかくは、勝利だった。それも大勝利だ。自分の力で勝利をもぎ取れるようになったのだ。戦士として魔道士としてこれほど嬉しいことはない。
「おい、お前名前何ていうんだ、魔道士さんよ! 英雄の名前を教えてくれ!」
 生き残った共和国軍の兵士たちがこぞってレモを取り囲む。老いも若きも関係なかった。初めての戦いを生き延びた男たちの原始的な喜びがどこまでも弾けて。
「レモ・クラックスっていうのか」
「……ああ」
 誰かに腕をひっぱられて立ち上がるとみんなが自分に率直な喜びをぶつけてきた。あるものは絶賛の言葉を連呼し、あるものは縁起のいい人間にあやかろうと握手を求め、あとからあとから押し寄せてくる。胴上げでもされそうな勢いだ。その中で、「弟子にしてください」と尊敬のまなざしで寄ってきた少年にレモは注意を寄せた。
「お前さんも徴兵で来たのか」
「はい。学校から志願して配属されました。やっぱり男は国を守らなくちゃいけないでしょう」
 まだあどけない顔立ち。年齢を聞くと十三歳だという。こんな少年兵が最前線に送られる時代が現実に到来したのかと思うと、大人として複雑な気分になった。
「僕も戦うんです。故郷の母や妹たちを守るために戦います」
「親父さんは」
「この前の紛争で死にました。だから」
 少年は勝利の喜びに今も胸を張っている。幼いとはいえたかが人間風情にはとうてい測れそうもない混沌を持った、一人の人間の目だった。哀れみなどはなから望んではいないのだ。今はこの戦闘を生き延びた喜びと自信に心が浮き立っているのに違いない。
 レモは複雑な思いを胸にしたまま何気なく少年の肩に手を置いた。少年の肩は熱く上気してグローブ越しにも温かかった。


 その刹那。
 禍々しい悪魔の杖が無感動に重低音で唸り、圧縮された膨大なエネルギーが一気に体へ逆流したのがわかった。レモがその衝撃に耐えられたのは少年の肩に触っていたからだ。圧縮された邪悪なエネルギーを急激に注ぎ込まれた少年の頭は、次の瞬間風船のように膨れ上がって爆発した。


 自分の両耳から静かに流れ落ちる鮮血の感触。音が無い。逆流したエネルギーに耐え切れず両耳の鼓膜が破裂していた。顔にそっと手をあててみると鼻血も出ている。少年の首だった場所から天高く吹き上がる血しぶき。半開きになった自分の口。
 愚鈍なる血の杖(エーイーリーズブラッド)の呪いが全身に絡みついているのを知った。それは用意周到に、自分を発狂させるチャンスを窺っているのだと。そうして発狂させて使用者の体をいつか乗っ取る気でいるのだ。破裂した少年兵の頭。残った首から無尽蔵にあふれ出る血。血。血。
 恐怖が心臓を掴んだ音がして、自分の口から悲鳴が湧き上がってきて、それはどこまでも音量を上げていった。後のことはわからない。精神は完全に恐怖で埋め尽くされ、レモはパニックで自らの心の中を狂ったように逃げ回っていた。何時間そうやって逃げ回っていただろう。死の恐怖で何も見えず、立ち止まれば足元からすぐに魑魅魍魎が這い上がってきて彼を冥府に引きずり込もうとする。完全に本能だけの、発狂した裸の獣に等しい姿だった。人間の精神の中は暗い。一条の光もない。
 彼を助けたのは一瞬記憶に刷り込まれた人魚石(アクアマリン)の名前だった。肉体の方がその宝石を見たのだろう……それにまつわるエピソードの一切を思い出せなかったが、名前だけは電光のように微かに瞬いた。
「”コクマー”!!」
 ”コクマー”と呼ばれた人魚石(アクアマリン)は確かに答えを返した。それは清らかな光と切れ味の鋭い高音で恐怖を一撃のもとに断ち切り、次の恐怖が襲ってくる前に正気に戻ったレモの精神体を暖かい水色の光でくるんで保護した。
 レモは二つに分離する。愚鈍なる血の杖(エーイーリーズブラッド)に乗っ取られて暴走を続ける自分を人魚石(コクマー)に守られて正気に戻った自分が頭の後ろから見ている状態だ。肉体は傷つきところどころ痙攣を起こしていた。放出している莫大な魔力は自分のものではない。
 ――あの杖は、自ら人を殺すための寄り代を探していたのだ。
 清らかな水色の光の中で切り離された精神体だけがリラックスし、彼は深い瞑想状態に入っていく。無意識の下から浮上してくる自分の言葉は人魚石(コクマー)が杖と同じように自分を寄り代にして語りかけているものらしかった。
 ――だけど、この力が要る。
 ――何のために?
 ――いつか戦争を終わらせるためだ。
 とてつもなく長い時間が流れていたような気がした。レモの精神体の中をそれまでの戦争の記憶がいくつも流れてゆく。水色の澱みない光が頭を透過して彼の思考を洗う。
 レモさえ望めば、この神秘的な瞑想状態の中にいつまでも居ることもできた。もうあの現実に帰りたくないと願いさえすれば、その時は杖と人魚石(コクマー)が慈悲深い死を与えてくれる。それが愚鈍なる血の杖(エーイーリーズブラッド)智天使の魂(ソウル・オブ・オファニム)の宿命であり、両者はそうやって流転を繰り返しながら数千年の時をかけて主を変えてきた。彼らは決して強制はしない。時代に何かを求めるのは彼らを使役する人間であって、彼らではない。
 ――彼の力を真に欲するなら、名前を。
 短時間とも悠久とも思える瞑想の後、レモは無意識下に刷り込まれた見知らぬ名前を静かに選んだ。
「我が名はレモ・クラックス。虚数の二番目の球体(エーイーリー)の神ラーの名において汝に服従を命ず。――”ベト”」


 瞑想から醒め、愚鈍なる血の杖(エーイーリーズブラッド)を捻じ伏せて完全に自我を取り戻した時のあの光景をレモ・クラックスは一生忘れないだろう。両の鼓膜が破けていたせいでそこに音はなかった。血のように赤い夕焼けが大地を照らし、鉄と腐敗の匂いが強く鼻を突く。
 共和国軍の同胞たちは全員死んでいた。ことごとく古代魔法(エンシェント)で体を砕かれ、形の残っていた首はどれも苦痛と恐怖で歪みきっている。死体の尊厳などどこにも有りはしない惨たらしい死に方だった。さっき自分を祝福してくれた者もいた。全員自分と同じ戦場を戦い、勝利を分かち合うはずだった者たち。
 誰も甦らない。
 生き延びた自分の手を染めたこの血は、二度と取れない。
 遠く夕焼けの中にはためく共和国の旗が暗く翳っていくのを呆けたように見つめてそのまま何時間ぐらい立っていただろう。遅れてやってきた応援部隊がレモを発見した時、彼の黒髪はたった一日の戦闘で銀髪に変わってしまっていた。


 ”血の杖(ベト)”に血を飲ませながら瞑想に耽っていたレモは、銀の鋼線のようになった自らの髪を撫でてふうと息をついた。強い魔力や超能力を手に入れた人間は髪の色が遺伝子学的にありえない色に変わったりする。根元から美しいサファイア・ブルーの髪になった精霊魔法使い(エレメンタル・マスター)もいたし、地域紛争の時に戦った魔道士の中でも髪の色が不自然に変化している人間は全員手錬れの部類に入っていた。この国の法王にも髪の色が変化していた人間は多い。寺院側はそれを「神の御技」などと言っているが。
「血を飲むのか。その杖は」
 おぞましさに震えている声。瞑想に深く入りすぎていてあやうくフォーナックスがいることさえ忘れるところだった。
「毎日誰かの血を欲しがる。いつもは肉屋や屠殺場の動物の血なんかで空腹を凌がせるんだがな」
 今でも血の杖(ベト)は戦場で死者の血を吸い続けている。隙あらば主を発狂させようとしていることも変わらないし、その魔力は日を追うにつれ少しずつ増大もしている。
「戦争がこいつの望み通りの世界を作ったのかもしれない」
 この呪われた力を共和国軍も帝国軍も欲しているのだ。それだけに、使い方を誤ってはいけないと思う。
 血の杖(ベト)の祝福を受けたあの日、この力を制御する運命をレモは受け容れた。そうして今を生きている。いつかこの力で戦争を終わらせることができるはずだと彼は信じている。
「やはり上層部は帝国への侵攻を決定したのかな」
「そうだろうな。君も僕もまた最前線へ飛ばされるんだと思う。国力ももう消耗しきっているし、勝負をかけに行かなければなるまいよ。
 これで最後になればいいんだがな」


 翌日、共和国軍の幹部が全員招集され共和国軍は帝国への侵攻を決定する。後に「四月侵攻」と呼ばれた戦いの始まりだった。


「冷日の魔道士」
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