共和国暦五六九年四月二日、共和国最北の大都市サカラク市で開かれた軍事会議には共和国全土から招集された百人を越える将官が出席した。共和国軍の軍構成はおおまかに分けて一般兵士と魔道士による地上攻撃を担当する紅玉部隊、海上での戦闘を担当する藍玉部隊、負傷兵の回復と補給を担当し寺院・司法関係者を多く擁する白銀部隊。そして総合的なサポートを担当する翡翠部隊の四つに分かれている。それぞれの部隊の将校たちが肩を並べる中には、レモとフォーナックスの姿もあった。もっともレモの方は階級が大尉なので特別扱いで末席の方に仮設された粗末な椅子に座っている。本来尉官クラスには雲の上ともいっていい会議だった。フォーナックスの方は少数で階級が厳しい白銀部隊の将官クラスに任じられただけあり、分相応の待遇が与えられているようだ。
「貴官らの中に欠席者が一人も出なかったことを感謝する」
メイジャー将軍は昨日の執務室でのくだけた話し方が嘘のように威厳ある話し方をして将校たちの畏敬の念を集めた。共和国軍の中で大将の階級にいるのは紅玉部隊代表のメイジャー将軍を含めて四人だけだ。紅玉・藍玉・白銀・翡翠それぞれの部隊に一人ずつという計算になる。
「今回の作戦行動は地上戦が主力だ。実務的な総指揮はこの私が担当する。短期間だが今までで最大規模の侵攻になるのを覚悟して頂きたい」
会議の内容はやはりレモとフォーナックスが予想した通り軍が帝国への大侵攻を決定したというものだった。共和国と帝国は一つの大陸を南北に分断している間柄だが、その国境部分には峻厳なる山岳地帯が端から端まで寝そべっている。冬の間は山岳地帯の積雪のため地上からの侵攻は事実上不可能だった。作戦名が「四月侵攻」とされているのは、雪解けからの短い季節を使って陸軍が山を越えるということを指している。
「海上からの攻撃は他の辺境諸国による連合軍が引き受けてくれることになった。貴官らも承知だとは思うがわが国にはもはやこれ以上の余剰資源はない。長い地域紛争と帝国との戦いで国民は疲弊しきっている。兵力と物資は最低限のみ防衛にまわし、残りは全て前線に投入する。雪の季節が来るまでに帝国領土の五十パーセント以上を占領下におくことを目標にしてくれ」
端的に言えば「のるかそるか」。
この世界の二つの大国のバランスが崩れるということは、そういうことなのだ。海上からの攻撃を担当してくれる辺境諸国も共和国以上に苦しい台所事情からぎりぎりのところで荷担してくれている。この作戦が失敗した時辺境諸国らが共和国を守ってくれる保証はどこにもない。
会議室は興奮と重い空気の混合のなかで着々と時間を刻んでいる。厳しい戦いの予感がした。
四月侵攻が開始したのは会議の三日後、四月五日〇九:〇〇時のことだった。広い共和国の全土から三日で七十パーセントの兵力が集結したのだからさすがと言える。これから突入していく山岳地帯は”シリウス”と呼ばれ、戦争の前は少数民族による中立地帯になっていた地方だ。いわば共和国と帝国との間のグレーゾーンである。今となっては雪解けの季節になるたびに戦場と化し、住民として残っている人間は一人もいない。
レモ・クラックスは紅玉部隊の中でも最前線を担当する部隊に配属された。最前線では何があっても全滅することは許されないという事情から最前線を担当する部隊には体力と速度のある強靭な兵卒が集まってくる。遭遇した相手が一筋縄でいかない場合も無事に生きて情報を持ち帰り、その情報を分析し対策を立てた第二軍で確実にしとめていくのが基本的な戦い方であるからだ。
今回からの直属の上司は配属されてきたレモの顔を見て、珍獣でも見た時のようにはしゃいでいた。
「お、来たね。お前さんがレモ・クラックスか! 悪運高いって有名の」
比較的軍内の規律が自由だとはいえ軽快に整えられた長髪の男が上司になるとは思わなかった。レンジャー用の装備を思いきり奇抜にアレンジして身につけている。迷彩柄に金糸で刺繍されたバンダナ、軍用ポーチに塗られた蛍光色のペンキに無数の羽飾り……。
「僭越ですがえらく派手ですね。隊長」
「軍内の規律における可能性への挑戦とでも言ってもらおうかな。お前だってなかなか目立つぞ。銀髪。
やはり俺も選りすぐりの馬鹿どもの隊長にさせられちまったみたいだなあ」
腰のあたりで弄んでいる短刀にだけは対照的なほど装飾がない。つや消しの炭が全体に塗られ、異国のものと思われる独特なフォルムをした短刀だった。男はレモの視線に感づいたのか問わず語りに喋りはじめる。
「面白いだろ、これ。俺の相棒。クナイっていって極東の島国で古くから使われている伝統の品なんだな。その極東の島国ってのが、俺の故郷なんだけど」
噂にも聞いたことがある。異国の短刀と神速の体術を誇る戦士の話。レモ同様どんな修羅場の中からでも生還してくるということで有名だった。華のある戦い方と派手ないでたちからつけられたあだ名が”
「そういや自己紹介がまだだったな。ラークスだ。パーヴォ・ラークス。階級は中佐な。将官クラスじゃねーからこの前の会議にも誰かさんと違って出てない」
こんな言い方すると嫉妬っぽいなあと自嘲しながらラークス中佐はレモの首筋にしなだれかかってきた。耳元で囁かれる艶っぽい声。
「メイジャー将軍からお前は絶対に殺すなって念を押されてる。まあ、安心して俺に身を預けてくれ」
強くて愛されるってのは、お互い大変だねえ。
石のように表情を動かさないレモの姿を見て、ラークス中佐はまたくすくすと笑った。
ここで時は三日前へ遡らなければならない。
正確には二日前だろうか。会議の後でレモがまた執務室へ呼び出されたのが日付を超えた〇一:〇〇時だったから。作戦責任者として激務をこなさなければならないメイジャー将軍がこの時間帯にどうして自分を呼び出したのか、その意図が不明だった。
将軍は薄暗い執務室の中で革張りのチェアに深々ともたれ、そのまま仮眠をとっていたらしい。照明はデスクの上の読書灯がついているだけでほとんど夜闇のまま。豪勢なガラス張りのテラスからは一見平穏を装った感じの広場が見える。
「レモ・クラックス大尉参上しました」
自分の低い声だけが部屋に反響したが、返事はない。薄暗い闇の中でメイジャー将軍の顔をうかがうと遠目にも憔悴の色が濃かった。閉じた目の下のくまや顎の無精髭が照明のせいで影をなして強調されているのだ。しばらくその場に立っているとメイジャー将軍はやがて重い体を起こして「ご苦労」とだけ呟いた。
「悪いな。こんな時間に呼び出して」
「俺に何か?」
まあまあ……と、将軍直々に淹れられたコーヒーを勧められる。最近では珍しくなったシリウス地方の良質のコーヒー豆の味がした。
「さすがに将軍ともなると美味いコーヒー豆ですね」
「だろう。やはりシリウス産のコーヒーは美味いよ。帝国でも共和国でも飲んでて一番美味いコーヒーはシリウスの豆だって答える奴が多いらしいぞ」
共和国にも帝国にも属さないグレーゾーン。メイジャー将軍は「俺の故郷だ」と笑って続けた。
「中年の思い出話ですか」
「いいや。大体、共和国軍将軍の出身地が共和国じゃねえってのもまずいだろう。ただ俺の思想ってやつが共和国の思想に染まりきってたわけじゃねえのを説明したかっただけだ」
戦争は自己の存続をかけた防衛であり、正義であり、共和国は悪の帝国に対して常に立ち向かわなければならない……そんな思想教育をメイジャー将軍は受けていないのだと言った。
「”子どもたちよ、若者よ、そしてこの国を守る全ての父と母よ。立ち上がれ。帝国の腐りきった圧政の下に我等の人権が脅かされることがあってはならない”」
『人間の尊厳』という題名で共和国の全ての教科書の冒頭に記されている言葉だ。共和国で生まれ育ったレモはこの国の教育を受けて育ったが、それが軍事的なものに変わったのは中等学校に入ってからだった。『人間の尊厳』の中にたった三文字「帝国の」という記述が加わったのはそれからだ。
メイジャー将軍はレモと密談でもするかのように話を続ける。
「シリウス地方の人間は戦争のあるなしに関わらず、本人たちの意思で共和国と帝国の両方へ散っていった。俺もそうだ。家族の中には帝国へ渡った人間もいる」
「いいんですか俺にそんなこと言って」
言外に将軍職の首が飛びますよと警告したつもりだったが、メイジャー将軍は一向に意に介さない。
「構わんよ。どのみち俺は全力で帝国を潰す」
とても帝国にも家族がいる人間の顔ではなかった。将軍の顔はにわかに険しくなってくる。それは家族への情というより、それさえも覆い隠す怒りや憎しみと、一筋の哀しみを感じさせる。
共和国と帝国は、もはや戻れないところまで関係が悪化している。そうでなくても綺麗言で戦争を終わらせられるという幻想など既に誰も持っていなかった。
「平和を掴み取るには勝つしかない。だが平和のために殺すのは決して軍が叫んでいる”鬼畜”じゃあない。人間だ。帝国に今どれくらいの人間がいるかお前は知っているか?」
軍での教育で習った知識を記憶の片隅から引っ張り出す。帝国は一番多くて一億一千万の人間がいる。それに対して共和国は八千万くらいだったろうか。辺境諸国は全部足しても二千万ほどが関の山だ。
「約一億くらいですか」
「そう、上出来だ。それに対して共和国は八千五百万。いずれにせよでかい数字だ。一番まずいのは、戦争が続く限りそれだけの人間が死に続けるということだ。いいか? 戦争は人間を数で見る時点で既に犯罪だ。俺たちはそれを承知の上で戦わなければならない。こんなことは、もう終わらせなければ」
とりとめのない論述だった。感情だけがどうしても先へ行ってしまって、整然とした理論の展開ができていないといったような。メイジャー将軍の結論は唐突にレモの身に襲いかかる。
「クラックス。お前の
レモを襲う沈黙の檻。
暗闇の中で二人を襲ったものは、何であったか。
「最悪の事態になったら、俺は決断しなければならない。何度も繰り返すが一番の罪悪は正義の名のもとに戦争が長引くことだ。最終的に一番多くの人間を殺す方法が実はそれなんだ。
だから、もし最悪の事態になったら、俺は見せしめに一般市民を殺す。殺すようにお前に命令する」
身も心も悪魔になる。
「無辜の民を殺せと?」
「数万人単位になるだろうな。大きな町を一つ丸ごと焼き払う」
数万人の民の命で数千万の命が助かる。胃がひっくり返って吐きそうになった。背中で真の喜びを予感する
どうしてこんなに静かなのだろう。メイジャー将軍は立ち上がってコーヒーを置くと、テラスに通ずるガラスの戸を開けて緩みそうな春風を中に通した。自分が愛した共和国の風だ。シリウスの山風も混ざっているに違いない。それはレモの体に触れ、やさしく身体を撫でて執務室の中を吹き通ってゆく。
「いい風だ。帰ってきたらまたこういう風を浴びたい」
憔悴の果ての穏やかな声。可能か不可能かではなく”できるかできないか”で答えろと言われた。しばらくの沈黙のあとで、レモはきっぱりと返答した。
「できます」
「……そうか。ありがとう」
もともと、そのための力だ。返答してからレモはうつむいて瞑目した。これはもともと人を殺すための力なのだからと、何度も自分に言い聞かせていた。
幻想が吹き飛んでどこかへ死んでいく。
「冷日の魔道士」
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