冷日の魔道士 第五章:廃墟の民

 かつて誇り高い遊牧民族が根を下ろしていたシリウスの山々は戦争を経て人の住めない山になったと言われている。雪解けの季節が来るたびに繰り返される侵攻と防衛。地面にしのつく短い毛のような草原の群緑のなかで、共和国と帝国両方の血が流されていった。雪解けと共に雪の下から凍りついた亡骸が出てくるようになったり万年雪の中に赤い雪の層が刻まれるようになったのは、ここ数年のことだ。
 共和国軍の先頭の部隊でレモ・クラックスは初めて見るシリウスの山の雄大さに見とれつつ、着々と馬を進めていた。自分たちは比較的標高の低い地域を歩いているが、遠くに連なる峰の稜線は神々しいの一言に尽きる。
大いぬの歯(トゥース・オブ・ケーニス・メイジャー)とはよく言ったもんだな。ここから見ても刺さりそうな傾斜してると思わないか?」
 黒色の軍用馬に乗ったラークス中佐が何気なくレモに話しかけてくる。万年雪の積もった、天を喰いちぎる犬歯のような山の連続。
「本当にこんな所で人が暮らせていたんでしょうかね?」
「暮らせるさ。その気になりゃあ砂漠のど真ん中でも氷河のど真ん中でも暮らせるのが人間だからな。ゾウリムシも真っ青」
 山の上は四月でも随分寒い。そのくせ日光だけは容赦なく体を打ちつけるから長袖なのに日焼けがひどいなどということが起こる。部隊の兵士たちはレモも含め、入山三日目にして既に激しい日焼けとそれに伴う肌のほてりや喉の渇きを体験していた。馬を与えられていてさえこの様では後続の歩行兵たちの苦労が思いやられる……。

 ラークス隊が山中の拠営地アラメテューグに到着したのはその日の夕方だった。アラメテューグは戦争前は数十人の民を抱えていたが、戦争が始まってから共和国軍の管理化に置かれた典型的な廃村だ。毎年の積雪にも身を粉にして耐え抜く堅牢な廃墟の数々。近くには湧き水のある崖なども存在する。
「隊長。何だかおかしくありませんか」
 村まであと少しというところでレモは馬を止めた。ラークス中佐はそれを聞いて片手で隊の前進を止めさせる。
「どうした」
「……村の中だ。強い魔力の気配がある」
 それは空気を伝って脳にじんわりと響いてくる。森林の匂いを凝縮したような、敵意のない深い魔力を感じた。ラークス中佐がポーチから携帯望遠鏡(スコープグラス)を出して覗いてみると、確かに何か違和感を感じる。
「畑に野菜ができてる」
 荒れ果てていたはずの畑に野菜が実り、誰も居ないはずの村に小さな明かりが灯っていた。

 念のため斥候で行かせた数人の兵士は、戻ってきた時には顔色を変えていた。
「老人が一人に子どもが多数います。非戦闘員のようです」
「難民か」
「そのようです」
 山を越えてくる難民といったら、帝国の人間以外には考えられない。共和国と帝国との間に国交はなく、国境を越えようとすれば女子どもでも殺さなければならないのが常であった。
「殺してこい。なるべく苦しまないようにな」
 ラークス中佐はドライに軍の任務を遂行する。そうしなければとてもやっていられないのが軍人という仕事である。
「拘禁だけにしておいた方が良くありませんか」
 思わず横から口を挟んでしまったレモの顔をラークス中佐は冷たい目で一瞥した。敵対心もなく相手を一瞬で切り刻めそうな態度にレモも若干緊張する。
「……子どもには、罪はない」
「だから何だい。俺たちも昔は子どもだっただろう。俺にもようやくお前が出世できなかった理由ってのがわかったよ。……おい、誰かさっさと行け。命令だ」
 睨み合いの外で斥候の数人が馬駆けていくのがわかった。レモはそれを追わない。二度も強く制止するほど他人の命に対して執着がなかったのだ。それはレモ個人の性質というより、長年の戦争を経験した共和国民の習性と化してしまっている。
「やはり綺麗言が上手くないと”英雄”にはなれないんだな」
 ラークス中佐は言葉の棘をレモに深々と突き刺す。あえて致命傷にはしない。急所を外して相手に苦痛を与える独特の軽妙さは、レモに不快感を持たせるのに十分だった。
 アラメテューグの廃墟から静かに何かが漂ってくる。無色透明のそれに気づいたレモの肌は急速に粟立ち始めていた。さっきの緑色の魔力と同種の、深い怒り。足元の草が小さな身を怒りに張りつめさせている。不意に廃墟に目をやったレモは廃墟に灯っていた明かりが不自然に吹き消えたのを確かに見た。
 突風が吹きぬける。一見何でもなさそうな、一種の優しさで。レモの肌の粟立ちは戦慄とともに頂点に達した。
魔法防御壁(シールド)を張れ」
 叫んだが遅かった。後続の軍団が全員地面に倒れていくのが見える。苦悶の表情はなく、睡魔に襲われたようによろめいて。優しい突風はそよ風に変わって倒れた兵士たちを寝かせつけていく。胸元の人魚石(コクマー)が主の意思より早く輝いてレモの中の抵抗力を一時的に上げたが、それは他の人間までには届かなかった。
「何だこりゃ。睡眠導入(スリーピン)てのは、もっと、穏やかにやるもんだろう」
 隣を見るとラークス中佐がぐったりとして自分から馬を降りていた。主が降りたのを確認した馬は膝を折ってその場に倒れこんでしまう。
「……クラックス、確認してこい。兵に死者は出させるなよ……」
 畜生と小さくうめきを洩らしたかと思うと、ラークス中佐はそのまま馬にもたれて気絶してしまった。残されたレモが気を取りなおして立ち上がった時、山間は見える限り遠くまで兵士たちの寝息で埋め尽くされていた。

 丘をさらに降りてレモが廃墟群の中に足を踏み入れると、そこは少しではあるが人の息吹を取り戻した場所になっていた。雪の季節を半年間も放置されていたとは思えないほどそれぞれの建物が手入れされているのだ。風化を拒絶し、さながら一つ一つの建物が人の住まいであろうとする意思を持っているようにも見えた。
 時々視界の隅でちらちらと小さな影が動く。呼吸を深くして自分の気配を無の状態へ近づけていくと、妖精(エルフ)があちこちの建物の影から顔を出した。きっとあの魔力の主が呼んだものにちがいないと思った。
「居心地いいもんな。ここは」
 妖精(エルフ)たちはレモに見つかったことに驚いて建物の影に隠れる。左右で色の違った宝石を嵌めたような瞳と、形よくとんがった耳と、白く透き通っている小さな手足。
「頼むから怖がらないでくれないか。おまえたちの大事な人の命がかかってるんだ……ほら」
 胸元につけている人魚石(コクマー)を服の下から引っ張り出すと妖精(エルフ)たちの顔色はこぞって緊張から好奇心へと切り替わった。澱みない光を放つ人魚石(アクアマリン)は背中の愚鈍なる血の杖(エーイーリーズブラッド)が放つ邪気を差し引いてもなお魅力的であった。
 妖精(エルフ)の一匹が建物の影をつたってレモの側へと寄ってくる。夕方なのも幸いした。妖精(エルフ)は日光に弱い。
「おまえたちの主の所へ連れてってくれ」
 レモはしゃがみこんでその妖精(エルフ)のすぐ前にまで人魚石(コクマー)を近づけてやった。妖精(エルフ)はその小さな手でそっと人魚石(コクマー)に触っている。初めて感じる宝石の暖かさに不思議そうに目を細める姿は人間の子どもと変わりなかった。妖精(エルフ)たちはレモを導くように同じ方向へ歩き出す。あちらにも、こちらにも、実にいろんな場所に妖精(エルフ)たちは出現していた。丘の上からでは見えなかったが畑にも何匹かいる。彼らは作物の傷みを治してくれることもあると聞いている。時には激しく怒るが、今はもう優しさに満ち溢れた姿を取り戻している緑の気配。
 主はやはり灯火の吹き消えた家の中にいた。兵士に蹴破られたのか閉まらなくなっている扉の向こうで、小さな人間の子どもたちを集めて何やら話をしているところのようだった。妖精(エルフ)は迷わず彼のもとへ走っていってレモの来訪をそっと告げる。
「おじいちゃん! あの人髪が銀色だよ!」
 子どもたちは、八人。みんな怯えていた。下は三歳くらいから上は十歳くらいまでで、とても冬を越してきたとは思えない薄手の服装をしていた。部屋の隅で斥候の兵士が数人倒れて眠っている。
「怪我はないか」
 同じ軍隊の制服を着たレモがいくら相手を気遣ったところで誤解は解けないのかもしれない……そう思ったが、返ってきた返事は意外と友好的なものだった。
「私たちは、大丈夫ですよ。そこの人たちは床に顔から倒れてしまったから、歯が折れてしまったかもしれないけど」
 深い森の匂いが濃く部屋を満たしていた。訪れるものをすべからく受け容れ、平穏な原始の姿へと回帰させようとしているかのような錯覚を受ける。子どもたちの中から出てきた老人の髪は苔から色が抜けたような白っぽい緑色をしていた。レモは直感的にこの老人が妖精(エルフ)たちの主であり、一瞬にして共和国軍の全員を眠らせた張本人だと気づいた。
「あなたは不思議な人ですね。聖なるものと邪なるものの両方を従えている」
 ずっと、目を閉じたままだ。前へ進むときも手探りで歩いていた。老人の皺だらけの手はやがてレモの手へと伸びてグローブ越しに意思の疎通を図ってくる。手のひらと手のひらの間で異なる性質の魔力が溶け合う。
「目が見えないのですか」
「目は見えていますよ。この両の眼が見えていないだけです」
 老人は盲目の眼を眠たげに開けると、新しい来客に静かに微笑みかけた。老人の眼はとうの昔から苔色に濁りきって、その機能を失っていたように見えた。


「冷日の魔道士」
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