冷日の魔道士 第七章:春の祭典(一)

 ラークス中佐が戻ってきたレモに叩き起こされたのは深夜のはじめ、共和国時にして二三:〇〇時ごろのことだった。軍から支給された時計は貴重な永久発光体(ルミナス)が使われているとはいえ、あまりにも合理的で味気ない。やたら頑丈に作るくらいならもう少し瀟洒(しょうしゃ)なデザインにしてくれても良かろうにと思ってしまうのがこの男の思考回路である。
「クラックス、敵軍の数量はどれくらいだ?」
「不明です。数量・距離・兵種一切不明」
「役に立たない奴だなぁ。お前さん、威力はあるが使い勝手が悪過ぎやしないか」
「無茶言わんで下さいよ。俺は攻撃専門なんですから」
「魔道士ってのは器用にものがこなせてナンボだろうが。戦争終わったら食いっぱぐれるんじゃないの? お前」
 正直レモはこの上官と相性が悪いらしいことを早くも痛感していた。のうのうと爆睡したあとでよくもまあそれだけ舌が回る。この上官は戦争が終わっても間違いなく舌先三寸で世間を渡り歩いていけるタイプだろう。
「まあ、できないってんならいいよ。とりあえず全員起こしてこい。それとあいつだ、”鴉”」
 ”鴉”というのはラークス中佐が子飼いにしている腹心の男だ。本名はコルヴス・ゲラン。階級は軍曹。ラークス中佐に軍がつけたお目付け役という噂もあるし、逆にラークス中佐が唯一自分の故郷から連れてきた人間だという噂もある。鴉の黒羽のように柔らかい漆黒の髪となかなかに残忍な攻撃力からそんな二つ名を与えられた。孔雀(ピーコック)の腹心が(クロウ)だというのも外部から見ればさぞかし違和感があることだろう。
「鴉! 敵襲だ。早く俺のところに来い」
 街灯一つない真っ暗闇の中でもラークス中佐が呼べば鴉は現れる。携帯用のランタンを片手に仲間を起こして回るレモの横を、音もなく通ったのがわかった。
 味方なのに寒気がするほど静かな振舞い方だった。ぞくりとしてレモが後ろにランタンを向けた時には、彼はもうラークス中佐の真横に立っていたりする。阿吽の呼吸というやつなのだろうがこんな状況下ではあまりお目にかかりたくない姿だった。
「北東だ。行って確かめてこれるか」
「しばらくお時間を頂きます」
 ラークス中佐が返事をする前にゲランは消えている。もちろん空間移動(テレポート)みたいな派手な真似はしない。地面を二つの足で駆けていくのだ。ただしそれを無音で、決して誰の視野にも入らずに並外れた速さでやるのが軍人としての彼の能力であるとラークス中佐は言った。実際その通りなのだろう。レモが軍の仲間たちを起こして全員が集結する頃にはゲランはまた元通りラークス中佐のもとへ戻ってきていた。
「小隊長は全員集合しろ」
 ラークス中佐は即席のテーブルにランタンを起き、シリウスの地図を広げてポーチの中から銅貨と銀貨を出した。常に大きい方……この場合は銀貨で自軍を表すのが通例になっている。ゲランの報告によると、敵軍の数はラークス隊二千騎に対し千騎ほど。こちらの方が風下になっているのは運がいい。
「魔道士が数人がかりで魔法陣を組んで呪文を唱えにかかっていました。捕虜らしい人間を傷つけて、その血を使っていた」
 報告を聞いたレモの顔に緊張が走る。口には出さなかったが、ピクター老人と子どもたちはまだ遠くまで逃げ切れていないはずだ。このグレーゾーンで捕まったらどんな言い訳も利かない。
「クラックス、お前はどう思う」
 軍人としての助言を求められ、咄嗟に不安を腹へ呑んだ。今はそれを考えてはいけない。考えたら戦えない。
「……古代魔法(エンシェント)だと思います。魔法陣の触媒に人間の血を使うのは古代魔法(エンシェント)以外に無い」
「だろうな。シリウスで古代魔法(エンシェント)を使うってのは正しい判断だ。犠牲が最小限で済むからな。
 さて、どうしたもんか」
 ラークス中佐は指揮官として無能な人間ではない。外見の反抗的かつ華美な立ち居振舞いの中には、最前線の師団を任されるだけの合理的な頭脳が搭載されている。レモや他の小隊長たちとの答申を必要な分だけ素早く終えると彼は地図の上の銀貨に指を置いて作戦を決定した。
「いいか、向こうは数の不利を最初の古代魔法(エンシェント)で無くそうとしてるはずだ。まず最初にこれをしのぐ。クラックス隊は各自分散して魔法防御壁(シールド)を張り続ける防御役にあたれ。ゲランは後ろの方にいる奴から護衛を選んで後方の本部隊まで伝令」
 別途に組織された小隊が回り込んで魔道士たちを見つけ次第これを戦闘不能においやり、狼煙があがったらラークス中佐率いる本隊が前進し帝国軍を殲滅するという基本的な作戦ができ上がったところで伝令は終了した。レモは自分の隊に戻ると隊にいる魔道士全員に同じ作戦を伝え、各自配置を決めたところで再びラークス中佐の所へ戻った。
「中央は俺が護衛します」
「頼む」
 もともと、レモは防御系の魔法があまり得意ではない。血の杖(ベト)のように極端に邪悪な杖を使役していると攻撃系以外の呪文には普通の魔道士以上に負担がかかるのだ。それでもあえて中央を引き受けるのは彼の隊長としての責任感であり、また作戦の成り行きを逐一見守るのに最適な場所であるからだった。
 ピクター老人と子どもたちはまだシリウスの山の中にいる。戦闘が始まったら彼らにも戦火が及ぶ可能性がある。否、もしかしたら既に……
「また余計なこと考えてるんじゃないだろうな」
 ラークス中佐の言葉が胸にぐさりと刺さってくる。
「いいか、”お前が逃がした”十人かそこいらについては、俺は知らん。俺は自分のとこの二千人をどうにか無駄死にさせないことに集中させてもらいたいんでね。誰かさんみたいな二の轍は踏みたくない」
 慌ただしい空気の中でさらりと言われた言葉にレモは思わず耳を疑った。豆鉄砲を食らったように息を詰まらせてラークス中佐を見る彼の目には、物言わずとも全ての内容が自己主張していた。
「知らいでか。いくら魔法でもそんな長時間寝てないよ。ただお前とあの連中の雰囲気があまりにも清々しくて胸クソ悪かったから、寄りたくなかっただけ」
 戦火無くとも状況は既に戦闘へと突入している。ラークス中佐は今や自分の見たことなど眼中にない状態で淡々と前方の星空を眺めていた。今は静かにたたずんでいても、もうすぐあの空から古代魔法(エンシェント)が飛んでくる。空が震える。
魔法防御壁(シールド)急げ。能無しは要らないんだ」
 ここで求められているのは、ただ古代魔法使い(エンシェント・マスター)という”兵器”のみだった。ここに人間はいない。自分も、周りの人間たちも、この上官でさえも、共和国軍の生きた兵器。全員それを解っていてこの場所へ来た。自分より遥かに大きな大義のために。レモは度あるごとにそのことを思い出し、いつも最後には軍人として、大義の元へ帰ってゆく。
 自分に与えられた使命を全うする。

 血の杖(ベト)をしっかりと握りしめて大地の上に立ち、レモは魔道士独特の特別な呼吸法で一人静かにトランス状態に入ってゆく。どんなに騒乱を極めた場所でもそれができるのが魔道士と呼ばれる人間だ。レモのような上級魔道士ともなればそのトランス状態は並の魔道士には到達できない深さに至る。
「”俺はお前を信じる(アニー・ミアーミン・アター)”。(ダム)
 血の杖(ベト)の先に咥えこまれているざくろ石(ガーネット)が光って、夜の闇の中に血をどんどん吐き出し始めた。レモが命じた時だけ無尽蔵に流れ出てくる血は、闇の中では錆色の禍々しい光を放つ。漆黒の大地に描かれる大きな魔法陣にレモは古代語ですらすらと呪文を書き記していく。無意識の底から浮かび上がってくる強い力を持った言葉の羅列。
 漆黒の大地に大きな赤い魔法陣が光ると周りからはどこからともなく歓声が上がった。しかし極度のトランス状態に落ちているレモにはそれが聞こえていない。彼の銀髪は夜闇の中で仄かに輝き、光の粉が外へぱっと散った。
「峻厳の柱、五番目の球体(ゲブラー)の神エロヒム・ギボールの名において我が同志たちに大いなる守護を」
 魔法陣の上を清浄な光が走り、魔法陣の色を赤から淡い青へ一瞬で変えてゆく。重低音で震えながら黒い光を放つ異形の杖をレモが自分の魔力で強引に押さえこむ。胸元の人魚石(コクマー)が主の衣服を貫いて外へと青白い光線を洩らす。
「”我が神の神殿(カデシュ・エリ)”」
 魔法陣から溢れた光は全ての方向へ拡散して兵士たちを包んでいった。薄い半透明の魔力の層が巨大なドームと化して、数百人もの人間を一度に守護する。
 魔法が安定化したのを見計らって魔法陣から出た時、レモの体は高エネルギーを放出した反動でややぐったりとしていた。ラークス中佐の口笛が彼を出迎えたがトランス状態から醒めたばかりで貧血気味だ。少し気分が悪い。
「お見事。これだけの魔法防御壁(シールド)を一人で張った奴は初めて見たな」
「向こうの古代魔法(エンシェント)は、とりあえずこれで防げます。ただ回数が少ないうちに兵を進めた方がいい。回数が増えるとはっきり草木や土壌に影響が出る」
「兵は進めるさ。向こうの魔道士を仕留めてからな」
「……」
 ラークス中佐の判断は、二千人の部下を預かる指揮官として正しい。レモはそれ以上自分の私情を口にしなかった。強力な古代魔法(エンシェント)が何度も行き交えばその場所は間違いなく死の土地になってしまう。この先何十年にも渡って、草一本生えず、水は毒になり土は汚れる。人が住んでいないシリウスが逆に古代魔法(エンシェント)の天国になる皮肉がここにある。
「この辺全体の磁場も狂ってしまう。磁石が利かなくなります」
「磁石がなくても方角は分かるよ。いつから自然愛好家になったんだいお前さん? それともここが汚染されたら、シリウス産のコーヒーが飲めなくなるからかな?」
 兵士たちのざわめきと共に二人は話を中断して北東の方角を見上げた。遠く山の奥から毒々しい色彩の雲が立ち上り、周りの水蒸気を取り込んでその成分を広げながらみるみる膨れあがってゆく。
 それは雨雲だった。雨雲は雨を降らせながら徐々に体積を増やし、気流に乗ってまっすぐにこちらへとやってくる。音もなく山の表面を這ってくる霞の塊。
 悲鳴はどこからも上がらない。ただ山の草木だけがレモたちの周りで悲鳴すら出せずに溶かされて、薬品をかけられたようにして枯れていった。魔法防御壁(シールド)の際にいる兵士たちがその様に息を呑んで後ずさる姿が、術士であるレモには観えていた。
 呪文が発動している時の魔道士の感覚は極めて鋭敏である。レモには溶かされる草木たちの呪いの声まで聞こえているような気がする。呪いがこの清浄な場所に満ちて、そのうち寄り代を求めて彷徨い始める。この世は祈りなどの正のエネルギーと同等か、あるいはそれ以上の呪いで満ちている。
 ――気をしっかり持たなければ。
 呪いにとらわれたら最後、愚鈍なる血の杖(エーイーリーズブラッド)の永遠の狂気に呑まれる。自分の人生はそこで終わるだろう。
「面倒なことになるな」
 ラークス中佐はまだ天を見上げている。いよいよ本物の黒雲が星空を食い潰し始めていた。星明りが消え空が暗黒に包まれてもなおレモが空を見上げていると、その頬に一粒の冷たい雨粒が落ちてくる。
魔法防御壁(シールド)を抜けた。今度のは本物だ」
「いや……程度が本当に微弱なだけです。長時間浴びないようにしてください。装備が傷む」
 一滴、少ししてもう一滴。さらに一滴。
 そして闇の中から大量の雨粒が現れる。
 星明りさえなくなった真っ暗闇の中で、ラークス部隊の人間たちはランタンの幽かな光を頼りに雨天用装備(レインコート)をはおり始めた。奇襲はこういう時にこそ行われる。襲われるのは向こうの魔道士たちか、あるいは自分たちか。豪雨と暗黒の中で真っ黒な衣に身を包み、ラークス中佐は口元を歪めて皮肉たっぷりに微笑した。


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