冷日の魔道士 第八章:春の祭典(二)

 子どもの胴ほどまでにしか草の伸びることができない苛烈なシリウスの自然。一メートル先も満足に見えない夜闇の中で雨は激しく全てのものを打ちつける。斜面の下に草木を伸ばす魔法でかりそめの休憩所をこしらえたが、草木自体の力が弱っているのか雨漏りが激しかった。邪悪な気がシリウスを覆って全てを汚染し始めていることを、彼は内心の憂慮と共に悟った。
「牧師さま。妖精さんが」
 ピクター老人は子どもたちの不安の声でふと我にかえる。最初に声を上げたのは八人の中で真ん中の年頃のアンナだ。アンナはそれまで一行をランタン代わりに照らしてくれていた妖精(エルフ)たちが急速に弱っていくのを心配そうに見ていた。それまで活発に跳ね回っていたものがその場にうずくまって動かなくなる。あたたかな虹色の光彩は失われ子どもたちを不穏な闇が襲う。年下の方の幼子たちはとうとう擦れた声で泣きだし、年上の子どもたちは不安を押し殺して健気にそれをあやしていた。声が出ないあの最年長の少年もきっと二つしかない手でみんなの肩を抱いている。彼より二つ年下の少女は彼の代わりにひたすら明るい声を出し続けている。年長のこの二人こそがこの子どもたちの中では一番必死なのだろうか……。
「みんな。こっちへおいで。アルベルト。ノーマ。クラウス。ロッテ。アンナ。ハンス。エレノア。シャーリーン。全員いるね」
「全員いるわ。牧師さま」
 目がめしいていようと、いまいと、この状況下では暗くて互いの顔もはっきりとは見えない。子どもたちは小さい年頃の子から自分の懐に入るようにして集まってくる。一番下のシャーリーンなどは自分の胸元で服を握って離さなかった。年上の子どもたちはつとめて外側にいるようだ。ノーマやクラウスはずっと声が聞こえているから気配もわかる。気配がいちばん見えないのは、最年長のあの少年。
 いつも言葉はなく、沈黙することで自らの存在の証明をも消そうとしているかのような……そんな寂しい面があった。彼は今も一番外側で年下の子どもたちに目を配りながら、最年長である責任感と共に入り口を見張っている。
「アルベルト。ちゃんと、いるかな」
 ピクター老人が手を伸ばすと、しばらくして握り返してくる手があった。燃えるような赤茶けた髪と鋭くて静かなまなざし。まだ十歳のその手は雨に濡れたせいで凍りそうに冷たい。
「手を冷やしてしまったのか。すまんなあ」
 老人がしわくちゃの手で少年の手を暖かくさすってやる。少年は返事のできないまま、もどかしそうにそれを受けていた。


 漆黒の夜闇に溶け込んだ熱気が兵士たちの周囲に充満し、豪雨の中で山間の駐屯地に停められた馬が(いなな)く。兵士たちが互いに声をかけ合いあるだけの明かりに火をともしているにもかかわらず、ラークス隊の中ではあらゆる照明器具が異常なまでの暗さを残し続けていた。魔法防御壁(シールド)を透過して入ってくる微量の呪いが魔法性の暗闇を作っているのだ。部隊の魔道士たちは全員魔法防御壁(シールド)を維持させることに集中させられているため照明にまで手が回らない。
「中佐。このままでは目も耳も使えません」
「そりゃ向こうも同じだ。 ……おい、用はそれだけかい?」
「はい、そうですが」
 夜間の奇襲における意義。それは相手の五感を麻痺させ、相手の正確な判断力を可能な限り失わせることにある。学校でそんなことも習わなかったのかとラークス中佐は内心毒づいたが、上官を頼ってきた目の前の兵士を怒鳴りつけるなどという行為が自らの立場とイメージに好影響をもたらすとは思えなかった。
「よろしい。それ以上喚きたかったらてめえのその体に自分で音声消去(サイレンス)でもかけて、勝手に喚くように。とにかくそのオカマみたいな面で俺の前に立つのだけは止しなさい。俺もストレスで血管切れちゃうよ?」
 共和国時〇二:二〇時。先行部隊が出発してから二時間以上が経過していた。古代魔法(エンシェント)による駐屯地の襲撃は既に三回ほど行われており、経験の浅い魔道士のフィールドにいた運の悪い兵士六十名ほどが被爆して死亡。三回目の被弾で部隊の七割の兵士たちが方向感覚の異常を訴えはじめる。ラークス中佐が方位磁石(コンパス)を取り出すと中の針はきれいに弧を描いて半永久的な回転を見せていた。
「磁場がイカれやがったか」
 これではいよいよ戦いになったら面倒なことになる。ラークス中佐は通信兵を召集して部隊の全員に通達を出した。
「全員顔に塗料を塗れ。配給の蛍光塗料があっただろう。奇襲があったら塗料のない奴は襲うからそのつもりでいるように伝えろ」
 通信兵たちが各方向へと散ってゆく。照明を目一杯灯しているのに回りは奇妙に暗く、耳は豪雨による雑音で少し遠くにいる人の声も聞き取れない。立ち止まると自分が目指す場所がどちらにあるのか、それさえも解らなくなりそうだった。それでも一人が声を張り上げながら兵士たちの集団を掻き分けレモのもとへと走っていった。レモは鳴動を続ける魔法陣の中で静かに瞑目し、直立不動のままその伝令を受けた。
「クラックス大尉。塗料を顔に塗ってください」
「塗料って配給のあれか」
「そうです。蛍光樹脂です」
 レモの姿は魔法陣から放たれる光の中で白く浮かび上がっている。古代魔法(エンシェント)による暗闇の中で、その魔法陣が放つ光だけが異質な明るさを持っていた。わずかにエメラルドグリーンを帯びたその光は魔法を基礎とした光であるため、この不自然な暗闇を受けつけないのだ。彼の銀髪はその中でさらに微量の魔法性の光を発している。一息吹きかけただけで混乱に陥りそうなこの集団からは一線を引く、安定した静けさ。
「大尉の場合は、みんなも分かると思いますから必要ないかもしれませんが」
「いや、塗っとくよ。中佐に誤認されて刺されたらかなわんからな」
 もっと真面目な感じの人だと思っていたが、こんな冗談も言えたのか……そんな声が聞こえた気がした。おそらく通信兵のものだ。魔法陣の中にいるとますます感覚が鋭敏になる。レモは装備の中から蛍光樹脂の塊を取り出して、さっさと顔にそれをこすりつける。蛍光樹脂は軍用になるだけあってこの豪雨の中でも落ちなかった。
 さっきの三回目の”被弾”で、とうとう磁場が完全に狂ってしまった。この暗闇の中自分が元来た方向が”どちらか”ということすら分からない。そのことがいよいよ全軍に恐怖となって伝わり始めている。昔から磁場が狂った場所は「魔の場所」などと言われ恐れられていたが、本当にその恐怖をわかっている人間はそうはいない。それは視覚と聴覚を殺がれた人間から最後の生存手段を奪う。


 少女の大きな悲鳴が子どもたちの中から急に上がる。ピクター老人が驚くのと同時に腕の中に子どもたちが押し寄せてくる感触がした。遠くの山間からくぐもった古代魔法(エンシェント)の音が聞こえた直後のことだった。
「妖精さんが。妖精さんが噛みついた」
 虫を引き裂くような奇妙な鳴き声が小さな小屋の中を暴走し子どもたちの悲鳴と交錯している。一番外側にいたノーマが脚を噛まれたのが最初だった。妖精(エルフ)たちがみな狂ったように頭を掻きむしり、凶暴化して周囲一帯を手当たり次第に攻撃し始めたのだ。今まで聞いたこともないような鳴き声だった。ピクター老人にはそれが何を意味しているのかわかっていた。
 妖精(エルフ)たちは人間への憎しみを爆発させる。その美しい両目は硫酸でもかけられたように溶け始めていた。妖精(エルフ)は激痛にのたうちまわり、両目を塞いで地面を転がり、叫び、走り回る。人間にあたれば噛みついた。子どもたちの中でも外側にいたノーマやクラウスに向かって何匹もの狂った妖精(エルフ)が襲いかかってくる。
 無言で、入り口の近くにいた少年が間に割って入った。ノーマの足に噛みついていた妖精(エルフ)を思いきり蹴り飛ばし、虫のようにクラウスにとびかかってきたものは素手ではたく。鋭いまなざしは呼気とともに動揺で大きく見開かれ、赤茶けた髪は雨のせいですっかり肌にくっついてしまっていた。
「アルベルト」
 叫ぶノーマを、突き飛ばす。
 ――早く外へ出ろ。一瞬振り向いた眼光がそう言っていた。妖精(エルフ)たちはすぐに四方八方からこちらへ向かって飛んでくる。アルベルトにはそれ以上少女の顔を見ている暇はなかった。ノーマは即座に彼の意図を理解すると小屋の出口を確認して自分より年下の子どもたちを導く。目の見えないピクター老人の手はクラウスに握らせた。
「牧師さま、こっち。みんな早く外に出て!」
 子どもたちはつまずきそうになりながら大急ぎで外へ出る。ノーマが最後から二番目に豪雨の中へ出ると一瞬引き絞るように頭が痛くなって、体中が違和感に襲われた。方向が分からないのだ。ノーマはそれを妖精(エルフ)たちの呪いなのではないかと感じた。小屋の中を見てみると、アルベルトが妖精(エルフ)に腕を噛みつかれていた。毒でも注入されたように歪む顔。
「お兄ちゃん」
 本能的に妖精(エルフ)を壁に叩きつけ、アルベルトがどうにか難を逃れる。彼が小屋を出てからも立ち止まっている余裕はなかった。
「お姉ちゃん、どっち」
「どっちでもいい。はやくここを離れるのよ」
 一寸先も見えない暗闇の中でピクター老人と子どもたちはやみくもに走り出す。今はとにかくあの狂った妖精(エルフ)たちから逃れなければならない。それまで子どもたちと仲良く遊んでくれていた妖精(エルフ)たちだったのに、どうして。子どもたちは闇に押し潰されそうになりながら恐怖と混乱の中で必死に互いの手を繋いでいる。
 ピクター老人は彼らには言えなかった。シリウスのこの土地は”死んだ”。妖精(エルフ)たちの内部では異常を起こした細胞が爆発的に増殖し脳を侵し始めている頃だろう。最後には正常な細胞は異常な細胞に喰い尽くされて死滅し、彼らもまた苦痛と憎しみで発狂したまま死に至る。
 だがそれを子どもたちに伝えて何になるのだろうか。


 魔法防御壁(シールド)の領域内にレモが微妙な違和感を覚えたのは、通信兵がやってきてからすぐのことだった。
「何か来る」
 通信兵が緊張してその場を立ち去ろうとしていた足を止める。レモは血の杖(ベト)を携えたまま全神経をその違和感に集中した。この巨大な魔法防御壁(シールド)の発生源である自分が、何者かに視られている?
 魔法防御壁(シールド)を張っている魔道士はその存在自体が相手にとって都合の悪いセンサーのようなものだ。それは魔法攻撃を遮断し、同時に領域内への人間の出入りを察知する。相手方からすれば実にたちの悪い、真っ先に破壊すべき存在。
 それはレモが通信兵に警戒を呼びかける前に来た。レモが虫の知らせではっと顔を上げると、被弾する前のそれが無音かつ高速で魔法防御壁(シールド)の一点を突き破ったのが見えた。

 古代魔法(エンシェント)

 違う。

 巨大な旋風と化して豪雨をものともせずに飛んでくる、水の錐。一点集中で対古代魔法(エンシェント)用に強化されていた魔法防御壁(シールド)を破壊し、術者めがけて飛んでくる。レモは咄嗟に魔法陣から飛び出して全力で走った。巨大な水の錐は二秒で正確に魔法陣に着弾し、その圧倒的な破壊力で周囲もろとも魔法陣を吹き飛ばした。大量の石礫でも投げつけられたような連続した衝撃音が豪雨の中でもはっきりと聞こえる。
精霊魔法(エレメンタル)か」
 魔法防御壁(シールド)の半透明の光が夜空から消えた。起き上がると同時に遠くで爆炎があがり、入り乱れた悲鳴と怒号が部隊の中を駆け抜けてゆく。
「敵襲」
 豪雨の中でレモが叫ぶ。さっきまでそこにいた通信兵は精霊魔法(エレメンタル)に被弾し、吹き飛ばされて気を失っていた。おそらく鉄と化した水の礫を全身に浴びてしまったのだろう。起こしてみると全身打撲で口の端からは血が漏れている。
「おい、しっかりしろ。何とか一人で生きてくれ」
 レモはそのまま通信兵を置き去りにして戦場の中心へと向かった。戦闘の火蓋は既に切って落とされていた。


「冷日の魔道士」
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