冷日の魔道士 第十章:春の祭典(四)

 得体の知れない力と、人の手に携えられたあまたの武器が飛び交い自分を殺しにやってくる。暗闇に目を奪われ豪雨に耳を奪われ方向感覚まで無くした兵士たちが、死への恐怖のあまり人外の境地に足を踏み入れ目の前の敵を際限なく殺していく。その中でラークス中佐は今まさに敵の一人を仕留めようとしていた。
 蛍光塗料を顔に塗った部下に剣を振り上げようとしていた奴だった。闇の中でさらに闇を吸うクナイで後ろから脾臓の部位を一突きにし、これからとどめを刺す。部下は倒れた姿のまま呆けたようにしてラークス中佐の姿を眺めている。振り向いた帝国兵の恐怖に歪む顔を見てなお目をそらさずにいられるだけの修羅を、彼はその身のうちに秘めていた。
 目をそらさずにそのまま相手の首を切る。人間は自分の首に刃が食い込んだときに、この世が終わる時のような恐怖のまなざしを相手に見せる。それを見続けながら最後まで相手の首筋を切り飛ばすことができなければ、相手の命を絶つことはできないのだ――それが、本当に人が人を殺すということだった。
 人を殺している時、自分が完全に人間を超えて何者かへと化していることをラークス中佐は否定しない。最後の「ひっ」という息を詰める声まで聞き届ける。切断された頚動脈からほとばしる信じられないほどの量の血を浴び、人を殺すという作業を完了してから守った部下の顔を見ると部下は緊張と恐怖を通り過ぎて廃人のような顔をしている。

 これだけのことをしても、人間でいられる。ラークス中佐は部下にそう教えてやりたかった。だから微笑んだ。自らの人間性を取り戻すために。
「立て。殺されるぞ」
 もしこの戦いが終わって部下たちが今を振り返るなら、この状況はまさしく「地獄」と呼ぶにふさわしいだろうな――彼は一瞬だけそう思った。


 覚醒した時には強烈に覚えていたイメージが引き潮のように一気に消えてゆく。敵の精霊魔法(エレメンタル)を何とかやわらげ、ダメージを被りつつも回避したレモは体を起こすと早速意識の中を走る閃光を克服して対応策を弾き出さねばならなかった。考える時間が欲しいのに後から後から敵が襲いかかってくる。何度相手を吹き飛ばし圧搾しても、彼の銀髪は返り血をあっという間にはじいてしまうのだ。豪雨が髪についた血を絶えず洗い流してしまうのも原因の一つである。血の杖(ベト)の力を解放してからレモの銀髪の輝きは闇の中で強くなる一方だった。
 何とかしてあの精霊魔法使い(エレメンタル・マスター)を排除しなければ。
 ”彼女”はもう自分の存在を察知しているだろう。その上この銀髪では相手に見つけてくれと言っているようなものだ。戦場をこの雨が支配している限りレモが直接相手の所まで辿り着くのは不可能に等しい。実際、レモ自身既に全身を雨で濡らしてしまっている。こんな状態では何をされてもおかしくない。
 襲いかかってくる敵をなぎ倒しながら必死で考えていると、憶えのある気配がいきなり自分の横に立った。彼のクナイはやはり無慈悲なままで敵の身体を何の躊躇もなく切り裂き、その漆黒の刀身は闇に溶け、あたかもその主がカマイタチを素手で掴んでいるかのように見せかけた。
「相手の場所はわかったのか」
 ラークス中佐は黒い雨天用装備(レインコート)に身を包んだまま闇を透かし見ている。その体術についていけずフードが外れ、バンダナとオレンジ色の長髪は夥しい敵の返り血で既に元の色を留めていなかった。
「北西です。崖の上にどこか精神集中できる場所がある」
「相手の特徴は」
「透け透けの服を着たブロンドの女」
「何!?」
 自分の部隊が奇襲を食らった時よりも緊迫した態度で上官が「美人か」と怒鳴るのを聞いてレモは自分の耳を疑った。
「何で今そういう質問が出るんです」
「馬鹿野郎、それ以上大事なことがあるか。女を見て大事なのは美人か不美人かってことだ! それに美人や十人並みならともかく、半豚人(オーク)みたいな忘れられないブスがそんな格好してたらお前どうするつもりなんだよ!」
「そんなこと考えてる暇があったら今この状況をどうするかそっちの方を考えてくださいよ!」
 凄惨を極める戦場の中でそういう思考のできるラークス中佐が狂っているのか正気なのかと考えて、レモは途中で結論を出すのをやめた。ここに正気の人間などいるはずがない。正確に勝利への計算ができる人間だけいればいい。ラークス中佐はそういう計算ができる側の人間だと聞いている。
「とにかく美人かそうじゃないかだ。どうなんだ」
「……美人ですよ! どっちかって聞かれれば俺は美人だと答えます」
「そうか。それじゃさぞ強かろう」
 まるで相手の美しさを称えるような、そんな語調だった。ラークス中佐は暗闇の中で重金属のように輝くレモの銀髪をちらりと見て、やや自虐的に歪んだ笑みを作った。

 強大な力を持った魔道士は、みな人であるのに人ではないかのように美しいと彼は思う。凶悪な力を行使するこの男でさえも。それは彼らの持つ力のためか、その力の根源となる精神の純潔さゆえか。
「なあクラックス。俺は人間の美しさには三通りあると思うんだ。一つ目は王侯貴族どものまとう無数の宝石のような装飾の美。二つ目はジプシーたちや村祭りのような原始の美。そして三つ目に、お前ら魔法使いが一番尊ぶ純潔の美。
 権利欲と、煩悩と、思想だ。美はすべて戦争を呼ぶ」
 そしてその中でも俺はお前らの美しさが一番嫌いなのさ。
「なぜだと思う」

「俺はお前らの美を理解できないからだ」

 どんなに純粋で、純潔な美しさに出会うことがあったとしても。ラークス中佐はそれをただの宝石のように、自己を飾るモノとして利用することしかできないだろう。永久に利用することしかできず、理解できないで死んでゆく。
 豪雨が延々と彼の雨天用装備(レインコート)を打ちつけていた。レモがふとラークス中佐の方を見ると、彼の髪は返り血をはじくこともなく暗褐色のまま汚れきっていた。
「美女は俺が仕留める。お前は本部を襲った奴を殺れ」
 張り上げた声が消えるのと同時だった。ラークス中佐は磁場の狂いなどものともしない方向感覚で真っ直ぐに北西の方向へ飛び出す。
 吹き抜ける風を目で追うのに似ていた。その速さを生む洗練された身のこなしに、見ている者はあたかも彼がゆっくり飛んでいるかのような錯覚をおぼえる。立ち居並ぶ敵の間を縫うようにすり抜けた後に、おくれて敵兵士の体から次々に血が噴き出す。どす黒い深紅の羽が戦場を駆ける彼の背中に無数に舞い上がる。
 レモは彼が暗闇に消えるまでのたった数秒で、彼の孔雀(ピーコック)という二つ名の持つ真の意味を悟った。あまりにも壮絶で艶やかな、そして残酷な、神速の孔雀。


 それまでシリウスを覆い尽くしていた愚かな人間どもの古代魔法(エンシェント)に空が震え、怒りの雨で全てを洗い流そうとする。眼下に広がる暗海の下では敵味方三千騎もの兵士たちが入り乱れ、互いを殺しあっていることだろう。それは互いに自らの尊厳をもぎ取るための戦いだった。すべてを凌駕して、正義や人命を踏みにじってでも人間には守らなければならないものがある。
 帝国軍の陣営にある崖の上で、彼女は足元からの光に包まれながら閉じていたとび色の瞳を開いた。彼女の下にある魔法陣は彼女に降りそそぐ雨を聖水のように清め、雨は生気に満ちた彼女の体を滑って足元から魔法陣の中へと吸収されていく。儀式に合わせて結われたブロンドの髪はたっぷりと水を吸って今にもこぼれそうだった。
「”銀髪の悪魔(シェミハザ)”か」
 全身のシルエットとは裏腹な、冷たい硬質な声だった。多少のダメージは与えたが命を奪うまでには至らなかった。魔法陣なしであれだけの衝撃波を発動させられる術者は共和国サイドでは一人しか記憶にない。魔法陣を破壊する直前に自分を”覗いてきた”のもそれで納得できる。
 レモ・クラックス。第三次世界大戦(サード・ラグナロク)の中で何度となく帝国の領土拡大の障害となり、有能かつ帝国の貴重な人材だった同志たちをことごとく闇に葬り去った男――帝国の民は彼を”銀髪の悪魔(シェミハザ)”と呼んだ。
 戦って一矢報いるだけの自信はあった。自分は彼の張った魔法防御壁(シールド)を破ることに成功した。この雨がやむ前に勝負をかければ自分の方が早く呪文を完成させられる。先制攻撃をかけ続け、相手の呪文をことごとく発動する前に阻止すれば攻撃を喰らう前に倒せると思っていた。
 しかし最後のあの衝撃波は一体何だったのだ?
 魔法陣もない状況での、あの恐るべき破壊力。悪魔としか呼びようのない男の実力を彼女は垣間見る。攻撃を喰らわずに倒せるなどと考えたのがそもそも甘すぎたのだ。攻撃にはこの命を賭けて当たらなければならない。
 呼吸を整え、静かにその場にひざまづく。懐から短刀(アサメイ)と紙人形を取り出し、指先を切ってから紙人形に血文字で相手の名前を書く。人形を魔法陣の中央に置き短刀(アサメイ)で十字を切ってから彼女ははっきりと呪文を唱えた。
「私はこの身をもってこの大地を伝う水脈を知り、この水脈を司る神の名を知り、この水脈に触れる彼の呼気、彼の脈動を知るだろう。
 この地を守る雨神トラロクと水神チャルチウトリクエよ、その力をもって魔道士レモ・クラックスの力を奪い、彼の脈動を止めたまえ」
 渾身の力をこめて紙人形の心臓部を短刀(アサメイ)で刺し貫く。相手の毛髪や爪がない分大した効果は期待できないが、名前さえわかればそれなりの呪いはかかるはずだった。彼女は儀式の終わりを宣言するために再び短刀(アサメイ)で十字を切り、呼気を整えて立ち上がった。

 悲鳴がすぐ近くで聞こえた。

 それまで適度な緊張を保っていた体が、一気に張りつめる。急いで精霊語の呪文を詠唱し水を通して周囲のフィールドを支配する。すぐ崖下の陣地に敵軍の一隊がなだれ込んできたのが観えた。
水剣(メム・ザイン)
 隊列の中央部に水の錐を叩きつけられ、轟音とともに敵兵士たちが宙を舞う。しかし直撃の前にその集団から何者かが分離した。恐ろしいまでの速さで味方の兵士たちの中をすり抜けてくる。明確な目的を持ち、最短距離で自分のいるこの場所を目指している。
 それは崖をたった数歩で駆け上がり、一瞬で虚空へ飛翔した。
水柵(メム・ケス)
 咄嗟に水の壁で自分をガードしていなかったらどうなっていたかわからない。間一髪の差で目の前の水壁に黒のナイフが突き刺さる。自分の喉と心臓があった場所だった。
 息を呑んだ。女は水壁に突き刺さったナイフを無効化して地に落とし、それから魔法陣の光の残照でぼんやり浮かび上がった相手の顔を見た。
「――やぁ、本当に美人じゃないか。これで俺の部下どもさえ殺してくれなかったら、俺もおイタは控えたのに」
 黒い雨天用装備(レインコート)から生首のように出ている血まみれの首。本人は笑おうとしていたのかもしれない。表情は能面のように生動を失っていたが、声だけが低く笑っていた。
「レディのお名前を伺いたい」
「貴様などに教える名は持たぬ」
 お前こそ何者だと聞き返すと、男はつや消しのされた黒いナイフを静かに抜いて懐深くその場で構える。
孔雀(ピーコック)
 名乗った時彼の顔はもはや別人のものと化していた。水壁が消え、自分が攻撃に転じる際のタイムラグをこの男は確実に突いてくるだろう。男は集中し、豪雨の中でその眼光をこちらへと向けた。


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