朝になってから早速脅迫電話がかかってくる。
「おい、爺さん何て言ってるんだ?」
薄汚い店のカウンターの電話は、いかにも手作りな風貌で危なっかしく見えた。シオザキの爺さんは昨日とはうってかわって弱気な態度でタガログ語を使いこなし、電話の向こう側を見ている。
「『ワシは何でもするから孫の命だけは助けてくれ』」
上村は工具箱の中から千枚通しと万能ナイフを出し、それらを吟味しながら爺さんの台詞を通訳した。
「よくタガログ語なんか理解できるな」
「いいえ、単なる推測です」
俺は俺でこの男の嫌味を飲み込みつつ、店中を引っかき回して使える銃をかき集める。カウンターの引き出しの中に二丁入っていたが、護身用なだけに威力は疑わしいものがあった。自分で言うのも何だが整備中の改造銃は元の部品が劣悪で信用できたものではない。暴発したらそれこそ今後の生活に関わる。
「マジでもっと強力な銃が欲しいな」
「プロの殺し屋は武器を選ばないんですよ」
「プロの密輸業者は廃業寸前なんだがね」
一休みして店のシャッターを開けると、それまで張りつめていた店内に朝のジャンク街の爽やかかつどこか不健全な空気が一気に押し寄せてきた。まだ往来の人間が少ない時間帯だが、しばらくしたら今日もまたむせ返るほど熱くなって人がごった返すのだろう。平和なものだった。
「なあ上村、これでまた爺さんから金取れるかな?」
「は?」
「考えてみたら爺さんが最初から降伏しちまったら俺は出る幕なしなんだよな。五百万は手元にあるし」
最初は改造銃の利益に目がくらんだ俺だが、考えれば考えるほど問題は山積している。これは身代金誘拐とは根本的に性質が違うのだ。相手は警察にすぐ相手できるような素人ではないし、少数でもない。逃亡して二度と戻ってこないというわけでもなく、この先何度でも同じことが起こりうる。何より連中が欲しがっているのは金や物ではないのだ。他人では代用が利かない。
俺の頭をさらに重くさせるのが逃走経路の問題だった。ここはフィリピンで、しかも昼間は道路も歩道も人でごったがえす都市部だ。地理条件で連中を上回れるとは到底思えない。タガログ語を喋れないこと一つ取っても俺たちが圧倒的に不利なのは目に見えていた。
「プロは逃げ道のない戦いはしないだろ?」
「……確かに、貴方とティモン君を連れて逃げるのはしんどいでしょうね」
「お前は死んでも一向に構わないがティモンと爺さんを世話して東京まで帰れなきゃ意味がないからな」
これが東京なら余裕でやってのける自信がある。逆に言うと、成田空港か東京港にさえ降りてしまえば連中にしっぽを掴ませるような野暮は決してしないということだ。
「大した自信ですね」
「伊達に東京で密輸業やってないよ」
上村はそんな俺の台詞を聞いてか聞かずか、千枚通しと万能ナイフを懐に収めて微笑した。
「大丈夫。たとえ老人が降伏するんでも僕が個人的に助手として雇って差し上げますよ」
やはり上村としては”この上なく気に入らない”俺と組んででも自分の名誉を回復したいらしい。俺にはあの銃の価値は測りかねるが。
「さっきまで改造銃売ってた男だぜ?」
「貴方は金と命の保障に折り目をつけなければ役に立つ人のようですから」
シオザキの爺さんが重々しく電話を切る。その目が俺たちにすがりつきたがっているように見えるのは都合のいい解釈なのだろうか?
「爺さんとティモンの夜逃げ代も払えよ」
俺は頭を掻きむしって溜め息をついた。
「ワシはどうなっても構わん。ティモンを日本へ逃がして生活を立てられるようにしてほしいんじゃ」
俺たちに懇願する爺さんの意見は何とも思いやりがあって無責任な代物だった。俺にはどうして上村があんなに紳士的な態度をとれるのか、ほとほと理解できない。
「そんなにあいつが心配なら一緒に日本に行って爺さん自身で何とかしてやりゃあいいんだ。その方が第一安上がりだろう」
「資金を出すのは僕です」
上村も俺の扱い方に慣れてきたのだろうか。俺はつくづくあの手の台詞に弱い。
俺はそれから逃走経路の確保に市内を馬車馬のごとく走り回り、今こうして再び店の前に至っている。相手のギャングは一方を「シゲシゲ・スプートニク」といい、もう一方の対立勢力を「クラトン・バレレン」というのだそうだ。今回ティモンを盗み出すのはこのうち前者の「シゲシゲ・スプートニク」ということだった。
「ショットガンや手榴弾を刑務所に持ち込んで暴動を起こしたこともある連中だそうですよ」
「この国は刑務所が堕落しきっとるからのお。あの時は面会にきとった子どもまで死におったんじゃ。地獄の沙汰も金次第とはまさにあのことじゃった」
「俺日本で暮らすのやめてフィリピンで暮らそうかな〜」
爺さんは正式な返答を夜まで延ばしたという。全ての準備を手短に整えた時、時刻は既に午後四時を差していた。今回の計画は簡単だ。三人でギャングの本拠地へ車で乗りつけて、上村が潜入。ティモンを盗み出した後俺たちと合流してそのまま貿易港へ行き、後は他の不法入国者よろしく船倉に揺られてフィリピンを出る。それだけ。
「飛行機じゃないんですか」
「飛行機はパスポートのない人間には厳しい。船ならまだ今までのコネが利くし、見つかっても東京に着いてから撒けるからな」
改造銃数十丁密輸するより楽な仕事だ。大切なのは時間を与えないこと。前もって必要な荷物は港の同業者に預けてあるし、もうこのジャンク屋には用はない。ティモンには悪いがこの国ともあと四時間ほどでおさらばとなる。
「爺さん、もう忘れ物はないか?」
俺はレンタカーを無理やり店の前に置いて必要最低限の荷物を入れた小さなボストンバッグを放り込んだ。銃と書類と金しか入っていない。上村の荷物も似たようなものだ。『風と共に去りぬ』も持っていく気らしい。
爺さんはまだ作業場に残って何かを探していた。家宝や思い出の品は全て置いていくと言っていたが、それだけでは済まない品が置いてあるらしかった。
「ご老人にしては物事にこだわらない方なんですね」
上村が店のシャッターを閉めて一足先に後部座席に座る。往来の人々の中に何人か足を停めた人間がいた。
「甘ったれた爺さんじゃなくて助かるよ」
爺さんも数日前から覚悟があったのだろう。まるで日帰りの旅行に行くように、何もかもそのまま放ったらかして堂々と消えることのできる人間は老人にはそうはいない。捨て身の強さというが、老人のそれは並大抵の器量ではできないことなのだ。
勝手口から出てきた爺さんはそんなことはおくびにも出さずに、往来の常連客たちに向かって気安い挨拶をかけ、家に鍵をかけて鍵をポケットに入れた。
「それじゃあね、今日のところは閉店しますんで、また明日来てくださいね」
そのままさりげなく助手席に乗ってきた爺さんに俺はあえて何も言わず、車を出した。サイドミラーの中のジャンク屋が当たり前に遠ざかってゆき、爺さんは一度だけ後ろを振り返った。
車の外を極彩色の町並みが流れてゆく。四時過ぎとはいえ、マニラの町並みはまだまだ庶民的で明るい。そして人の流れは絶えることがない。
「ウエムラ」
ギャングの本拠地までの短い道中に、爺さんは自分の荷物の中から鈍い銀色の拳銃を取り出し、それを無造作に上村に渡した。
「ワルサーP38までのつなぎでいい。そいつを使ってティモンを助けてやってくれんか」
バックミラーに上村がかざしたその銃は、上村には不似合いな大きさと古さを持っていた。
「旧型のトカレフですか」
「そうじゃ。整備はやってあるから心配要らん。おまえさんにはちと重いが我慢してくれ」
爺さんの語調は重い。沈んでいると言ってよかった。上村はその裏の何かしらの感情を感じとったのか、しばらく黙った後トカレフを懐に収めた。
不思議と三人が三人とも口をつぐみ、左手を渋滞の中鮮やかな赤と青のトライシクル(三輪タクシー)が爆音を立てて通り過ぎてゆく。ジープもどきのド派手なバス……中古のイエローキャブ……
……つまり、人の闇と当然のように同居し、流れていく、鮮やかな生命力の塊ども……。
「老人の思い出話はこの国では嫌われるんじゃ。特にしみったれた話はな」
爺さんは外の光景にしみじみ別れを告げながら、歩道の子どもたちを見て微笑んでいた。
「ティモンはワシの養子でなあ。孫にそっくりじゃった。ワシには一人息子と、息子の嫁さんと、ちっちゃい孫がおってなあ。本当なら今ごろこんな老体に鞭打たんで息子のトコで厚かましく暮らしておれたんだが。全く因果な商売よな……」
何の強い感情も見せず、涙一つ見せない。ただ溜め息だけが洩れる。
「そのトカレフなあ、息子が最後に整備してたんじゃよ。でも、テスト直前に孫がいじって暴発させちまってなあ。
まだ一つだったのになあ。
あの子の小さな頭が、一個飛んだ。
……見てらんなかったなあ……。
その後嫁さんが自殺しちまって、そん時はワシが整備した銃だった。息子はワシを恨んだよ。泣きながら呪っとった。そんで家を出て、他の仕事で生計立てて、十年前かな。町の警官とケンカして撃たれて死んじまった。アル中だって言ってたのかなあ……」
爺さんは特に涙をこらえている様子もなかった。意識的に、流すように呟いている感があった。
「何で、そこまでやっちまったのにワシはこの世界を抜けられなかったのかねえ。食ってくためにやむを得なかったっていえばそれまでだけど、寂しいからって養子なんか取るべきじゃなかったのかな。それで、ティモンは路上で暮らして、そのまま野垂れ死にさせておけばよかったのかな……」
……全く、因果な商売ではある。
殺し屋も、密輸業者も、銃工も、その程度なのだ。少年には夢を抱かせておきながら、実際にはくだらない偶然で全てを失い、それでも裏の世界から抜けることすらできない精神性のかなしさ。
「ウエムラ、勝手な頼みで悪いね。だけど、もしその銃で少しでもティモンを助けることができたら、息子も少しは報われると思うんだよ」
爺さんは上村の方へ振り返り、まるで自分の息子を重ねたような視線を投げかけた。上村はまたもしばらく黙っていたが、やがて一言「わかりました」と呟いた後、爺さんに一礼した。爺さんは「ありがとう」と呟き、また外の極彩色の景色へと視線を戻すのだった。
「The Agents Vol.3 / ジャンク屋にて」