数分後、俺は車内でケバい水色の百円ライターを手に取って爺さんと上村に煙草を持ってないか訊ねていた。
「セッター(セブンスター)があると言うことないんだけどな。この際マイセン(マイルドセブン)でもいいや。何か煙草ないか?」
「僕は吸いませんよ」
「ワシもな」
煙草というやつは麻薬ほど効くわけでもないのに麻薬以上に依存性がつくから質が悪い。
「俺はマリファナより煙草を法で禁止してくれた方が業者として儲かると思うんだけどな」
「それは煙草が強いんじゃなくて貴方が精神的に堕落してるんですよ」
上村の台詞回しは只でさえ苛立っている俺の神経に耐え難い痒みを与えていく。
「それじゃあ行ってきます。留守番をよろしく」
「知るかよ」
不平だけは洩らしたもののそれ以上は言えなかった。雇われの身はこういう時が辛い。クソ。
それは敵のアジトの前での会話だった。
俺はギャングのねぐらのすぐ側に車を止め、物陰でフロントガラス越しに”相棒”が潜入を図るのをピリついた視線で見送ったわけだ。上村は黒いスーツのままで猫のように歩いていくと、そのまま建物の裏の方へ悠々と消えてしまった。
「ウエムラ一人で大丈夫かのう?」
爺さんはティモンの命がかかっているため気が気でない。俺としてはまあ奴の実力拝見といったところか。
「あの若さで何人も殺してるんだ。少なくとも手元を狂わせる心配はないんじゃないか」
「じゃがあのトカレフにはサイレンサーもついとらんじゃろ。下手に撃ったらバカでかい音が出て連中がゴマンと集まるわい。それでも大丈夫と言えるか?」
俺は上村が千枚通しと万能ナイフも持っているのを知っている。そうでなくても襲うのはギャングだ。奴も十分過ぎるほど用心はするだろう。
「そんなに心配なら奴らに拷問されずに死ぬ覚悟でも固めとけよ。上村が死んだら俺は逃げるぜ。金より命が大事だからな」
爺さんが思わず声を詰まらせた。まさかとは思うが、爺さんは俺のことを本気で良心のある人間だと思ってたんじゃあるまいな……。
「ティモンを助けてくれるんじゃないのか?」
「助けるっつったのは上村だろ。俺はあいつの払う金以外には興味ないね」
「あんたあの子がどうなっても平気なのか!?
ティモンは、あの子は何度もあんたと一緒に飯食ってあんたになついとったじゃないか!」
「だから何だ?」
感情を逆撫でする台詞ばかりすらすらと思いついた。
ティモンが金でも払ってくれるのか。爺さんの方こそ只の顧客に命懸けの慈善事業を頼もうだなんて無茶に気がついてるんだろうな? 呆けちまったんじゃねえのか。それであいつが救えるなんて思ってたら、あんた最低の馬鹿だよ。反吐が出るぜ……。
爺さんは沸々と湧き上がる憤怒の感情を必死に抑え、そんな俺のことを金の亡者だと顔で罵った。
「あんたそれでも人間か?」
とってつけたような堅気の台詞だった。俺ほどこの言葉をしょっちゅう浴びせられる人間もあまりいないと思う。金貸しやヤクザでもないってのに。
煙草が欲しい。ニコチンもタールも密度の濃いやつ。ティモンより煙草だ。俺にはそっちの方が切実だ。
「どっかにセッター売ってねえかな……」
爺さんがかっとなって護身用の銃を俺に向ける。俺は百円ライターをいじる手を止めてバックミラーを見た。年老いた鬼が俺に「黙れ」と言っていた。
刑務所の囚人でさえ子どもを死に至らしめた奴は最低の部類に置いている。利用していたのならなおさらだ。刑務所に入ったらそれこそ俺は軽蔑される側に入れられ、風呂場で襲われても文句は言えないだろう。俺は捕まらないでいるから勝者なのだ。死なずにいるから勝者なのだと言い換えてもいい。そのために俺は最低の道でもためらわずに選んできた。そして、これからもそうするだろう。
「爺さん、俺を殺したらティモンの無事は保障できないぜ。何せあいつを日本へ今すぐ連れていけるのはこの俺しかいないんだから」
俺はサイドミラーの人影の方に目を移しながらことさら穏やかにそう言った。この場所にも長く停めておけない。一旦怪しまれたら最後、爺さんまで守れる自信はない。
「わかったらそいつをしまってくれ。あんまり長いこと車を停めたままにしておくと面倒なことになる」
サイドミラーの人影が近寄ってくる。俺と同い年くらいのチンピラ。眉をしかめている。
爺さんが激情を治めてとりあえず銃を引いたのを確認し、俺は車のエンジンをふかした。
「Maghintay,maghintay! Pumara ka!」
チンピラが何か言いながら追いかけてくる。爺さんはその声で初めてチンピラに気がついた。
「爺さん、ありゃあ何て言ってるんだ?」
「車を止めろって言っとるんじゃ」
「バックかけて轢くか?」
「なるべく穏便に済まさんとウエムラが戻ってきたとき面倒になるじゃろ」
「それもそうだな」
俺はそこでゆっくりと車を止め、チンピラが追いついてくるのに任せて車を降りた。チンピラは俺よりむしろ車の中の爺さんに興味があるらしく、俺を無視してタガログ語をまくしたてては扉を開けようとする。爺さんがドアロックをかけていることに気づくと、今度は俺に向かって喋りはじめた。
「爺さん、こいつ何言ってんだ?」
「”そこの爺いはうちの組織に用があるんだ。悪いことは言わないからドアを開けろ”」
「ふーん……」
チンピラは図体のでかい俺相手に気を張っている。俺はタガログ語が解らないことを伝えるように肩をすくめた。
「タバコ、一本くれよ」
愛嬌たっぷりに身振り手振りでそう伝えると、チンピラは余計にこちらへ凄んでくる。
「頼む! な?」
ぺこぺこ頭をさげて頼む仕草をした。チンピラが呆れるのに時間はかからなかった。煙草一本で爺さんが手に入るならと、チンピラがポケットの中をごそごそとまさぐり始める。
俺はそのままチンピラを殴り倒した。
起きようとするところに何度でも蹴りを入れ、ひょいとその側まで行って白目を剥くまで何度も喉を踏み潰す。足を掴まれれば胸を踏んだ。頭も蹴った。チンピラは悲鳴さえ上げられないまま気絶し、爺さんに俺の恐ろしさを知らしめる格好の実験台となった。
俺はチンピラが動かないのを確認すると、仕上げにもう一回だけ喉を勢いよく踏んでからしゃがみ込んでチンピラの服のポケットを物色した。
「おぉ、これだよこれ」
俺はようやく見慣れない煙草を見つけ、一本に火をつけてニコチンとタールの煙をじっくりと堪能したのだった。
その後俺たちを発見した不幸なチンピラは俺の手によって近くの倉庫に連れていかれ、たまたま空いていたドラム缶に二つ折りにしてケツから詰め込まれるという悲惨な目に遭うことになった。
「お前見つけてもらわないと大変だぞ。ドラム缶にハマって絶命だなんて面白すぎる展開になっちまうな」
チンピラは気絶したまま起きる気配もない。たとえ起きても体は完璧にドラム缶にハマり込んでいるし、喉が潰れていては助けも呼べないことだろう。念のため四方にドラム缶を並べてチンピラの入ったドラム缶を固定し、車に戻った。
鍵のかかった車の前にまた小物のチンピラが来ていた。同じことの繰り返しだった。そうして二人目を叩きのめして煙草をせしめた頃だろうか。俺と爺さんの耳に銃声が届いたのは。
上村が建物に入ってから三十分以上が経っている。やっと聞こえた、という方が正しかった。俺は建物の方を見てその場に立ち尽くした。爺さんは車の窓を開けて身を乗り出し、息を詰めて建物に目を向けている。銃声が聞こえていた時間は短く感じられた。最初に二発。その後に銃声の応酬とも言える音の重なりが胸の内までこだまし、無音が来る。そうやって何回か銃声と無音が波のように繰り返された。このやりとりはいつまで続けば終わったことになるのだろう。辺りが静まりかえっても、動くことができない。誰も逃げ出してこないのが不気味だった。
「……ナリタ、ティモンは無事じゃろうか?」
「さあな。……俺としたことが、何でこんなヤバい所にいるんだか。あんたらなんか放っといてさっさと逃げりゃよかったよ」
また銃声が響く。轟音が一つ響くごとに脳みそと体を繋ぐ神経を切られているような気がする。思考回路そのものも、細かいところは切れてしまう。無音になってからせわしく煙草を吸った。すくんだ足を動かすと、感覚が幾分か戻ってきた。
そうだ。俺はまだ倒れている奴をドラム缶に詰めて警察をやり過ごさなければならないのだ。突っ立っている場合ではない。
車を爺さんに任せ、俺は急いで二人目の被害者を倉庫へ引きずっていった。気を利かせて一人目の隣のドラム缶に二人目を押し込んで戻るまで十分もかからなかったと思う。
だがその十分という時間はサイレンを呼ぶのに十分だった。戻ってくると建物の前にはもうパトカーが停まっていたのだ。俺は赤く点滅する光を見て危うく反射的に引き返すところだった。車には爺さん一人。だが銃が入ったままだ……
「ご老人の護衛もしないで何油売ってるんですか」
「へ?」
「突っ立ってないで車を回してくださいよ。貴方がしっかりしてくれないと困るんです」
俺は建物とは反対側の通りで上村に出くわした。上村は一滴の血もついていない紺のスーツをだぶつかせ、真っ青な顔で震えるティモンをおぶって行きと同じようにすました顔をしていた。
「ナリタ!」
ティモンは俺の顔を見るなり上村の背中から飛び降りて逃げるように俺の側へと駆け寄った。その動作がバネのように早い。そして俺のアロハシャツを掴んだ手にはものすごい力がこもっている。俺はティモンの肩を軽く叩き、彼をなだめようとした。
「おー、怖かったか。もう大丈夫だからな。車取ってくるから待ってろ。さ、手を放せ」
しかしティモンはシャツから手を放そうとしない。
「――おれも、一緒に行く」
決して顔を上げず、誰の顔も見ようとしない。よく見るとその髪は洗い立てでまだ湿っていた。着ている服になると上村と同じで、はなから他人のものだった。
「早くロロの所へ連れてってくれよ。待つのは嫌だ。早くロロの所へ行きたい」
俺は黙って上村の顔を読んだ。
上村は俺に返事を返すように首を横に振る。大して悔やんでいるようにも見えなかったが、自分がティモンに嫌われたことだけは認めているようだった。
「The Agents Vol.3 / ジャンク屋にて」