The Agents Vol.3-5 / ジャンク屋にて

 少年の頃の夢が消えたのは、いつの時だったろう。
 小さい頃は俺にも普通の夢があった。企業の重役、つまり、「えらい人」になること。地位や権力や名誉に憧れてた。力のある人間になりたかった。
 いつから俺の中の理想像は汚れ、意味を失い、忘れ去られたんだったか。そんな記憶はもう朽ち果てて形も残っていない。

 爺さんの隣りの席でティモンはずっと下を向いていた。過ぎゆくマニラの街に別れも告げず、怖いほど真剣な形相で押し黙っている。
「ティモン、ワシのせいで怖い思いをさせて済まなんだな。日本に行ったら今までのことは全部忘れてやり直そう。ワシが何とかしてやるから、な……」
 爺さんが何を言っても聞いていない。体を強張らせ、何かの弾みで泣きだしそうになったり急に胃液でも吐きそうな顔を見せる。顔に血の気が戻るまでまだ時間がかかりそうだった。
 もうすぐ日が暮れる。外の町並みにも、安いレンタカーの中にも、翳りのあるオレンジの光が濃く降りかかって我が物顔をする。車の中は煙草のヤニ臭さと、排気ガス、それに血や硝煙の臭いが混ざりきった空気で一杯だった。
”おい、お前ティモンに何をした?”
 俺は助手席の上村に視線を向けた。上村は腕組みをしたまま口を閉ざしていたが、俺の咎めるような視線に気づくと顔を上げ、ゆっくりと後ろを向いてティモンの様子をうかがった。
「ティモン君、話してもいいですか」
 上村の声が響いた瞬間にティモンはびくりとした。返事をしないのは話して欲しくないからというより、上村に対して怯えているせいだと思った。
「お爺さんも成田さんも君のことを心配している。返事がないなら勝手に喋りますが……」
 ティモンはぶるぶる首を横に振った。それまでぴくりともしていなかったので、その動作は俺の目に際だって見えた。上村が顔に虚しさを浮かべてティモンを見る。それ以上喋ることがためらわれたのか、彼は席に戻った。
 車内の淀んだ空気が冷えていった。俺は無言に耐えられずラジオをつけ、運転したまま煙草に火をつけて煙をふかした。タガログ語の理解できない声が車内を満たした。

 これは後日上村から聞いた話だが、奴はあの建物にいた人間で騒ぎを起こそうとした奴を一人また一人と殺し、最終的にティモンの目の前で殺した奴も含めて二十人近くの人間を殺したという。千枚通しで心臓を突かれた者、こめかみを突き通されて死んだ者、ナイフで喉をかき切られた者。話には出ていないがおそらく廊下なんて血の海だったろう。最初の銃声はギャングの方が撃ったのだそうだ。上村はそこから目についた奴を片っ端から射殺。完璧な殺人マシーンに早変わりしたという。
「片っ端から殺すって、お前簡単に言うな」
「一つ一つ説明した方がいいかい? 射撃ゲームと同じだよ。まあ、盾にした死体が穴だらけになってちょっと見苦しかったかな」
 相手方の銃の威力が弱くて助かったという後日の上村の感想を聞きながら俺はグロい想像に駆られたものだ。上村はティモンの監禁されている部屋に押し入り、その目の前で最後に一人を殺した。殺したと言えば簡単だが実際は冷血そのもので、全身に返り血を浴び、眼だけが普通に白と黒を見せて化け物じみていた。その幹部は上村のことを対立ギャングの手先だと思ったんだそうだ。扉が開くなり銃を構えたものの肩を撃たれ、続けざまに両足を撃たれて動きを封じられ、生々しい叫び声を上げながら苦痛のあまり血にまみれるような丸まり方をする。
 上村は「あくまで丁重に」彼に尋ねた。
「Where is my Walther P38?」
――「僕のワルサーP38はどこにありますか?」
「And,shower room...or,bathroom」
――「それから、シャワールームか……洗面所の場所を」
 幹部は恐怖とタガログ語で訛った英語で「Go」とか「Left」とか「Right」を並べ立てたらしい。
「Good」
 上村は微笑し、銃をそいつの心臓に向けた。

 上村はティモンにわざと悪夢を見せたのかもしれない。その幹部が殺される寸前にティモンは悲鳴に近い声で「やめて」と叫んだそうだ。腰を抜かし、胸を強張らせながら小刻みな呼吸をして。全身からどす黒い血をしたたらせた上村と目が合い、彼はとうとう息もできなくなった。
「……ウエムラ、もうやめて……」
 上村は幹部にトカレフを向けたまま微動だにせず、そこだけ白い眼を静かに細めた。その足下には、悲鳴と血を延々垂れ流し動くに動けない幹部が狂ったイモ虫みたいにびくんびくんともがいていた。一時の間、その変な悲鳴だけが聞こえた。
「ティモン君」
 上村の声は至って平静で無感動だった。
「殺すのが嫌なら今度からはおもちゃの銃を直すといい。だけど僕は殺すのが仕事ですから」

 次の瞬間幹部の胸が弾け、高く血を噴き出した。轟く銃声さえ遠くに押しやる光景だった。
「ひとつ」
 腹が弾けた。
「ふたつ」
 喉が弾けた。
「みっつ」
 眉間が弾けた。
「よっつ……」
 上村は無表情で引き金を繰り返し引き続けた。だんだん眼の焦点が合わなくなり、ただ面白いように穴のあく血の満ちた肉塊だけが見えた。
 不意に弾が切れ、空撃ちの音が二三回響いて上村は我にかえった。濃密な血の池が一カ所だけ細い川に通じ薄まっていく。辿っていくと、その湯気の先に失禁したティモンがいた。

 その後上村は腰を抜かしたティモンを負ぶって死体だらけの廊下を歩き、幹部の言っていた応接室の豪奢な机から愛するワルサーP38を取り返して、悠々と側に死体の転がるシャワールームで全身の血を洗い流し、あまつさえお偉方のワードローブから服まで拝借して俺の前まで帰ってきたのだった。俺はその話を上村から聞いて正直呆れた。常識や恐怖感が欠落していると思った。
「僕より君がやったって言う方が説得力あるけどね」
 上村は話をした後、そんな軽い毒をこめて女と見まごうような面を笑みで歪めた。
 まあ、これは後日談だから当時の俺の預かり知らぬところだ。その日の話はまだ終わっていない。

 上村が建物にいた人間をほぼ皆殺しにしたのを知らずに俺はミラーの死角を長いこと見張っていた。
「追っ手が来る可能性はあるのか」
「あるでしょうね。目撃者は出してないはずですけど」
「あんなバカでかい音出して目撃者がいない方がおかしいよ。早く日本に帰りたいもんだ」
 今、五時四十分だ。港まであと十分もないだろう。船の出港時間が八時二分。客の乗り入れ開始が七時半から。貨物の積み込みはとっくに始まっている。
「いいか、俺が手引きしてやるからお前らはコンテナに入って船倉に潜りこめ。船さえ出ちまえばこっちのもんだ」
 あと約二時間。たとえ追っ手が来るとしても、それだけしのげればいい。それでティモンと爺さんは日本へ亡命できるし、俺も上村からの依頼料にあずかることができる。
「ティモンには船酔いの薬が要るかもな。追加料金で買ってきてやろうか」
 俺が冗談めかしてそう言うと、ティモンは聞いてか聞かずか真っ青な顔を上げた。目の光が子どもとは思えないほど凄かった。船に乗ってる間にノイローゼで死ぬかもな……と、鏡越しに思った。
「……ロロ。おれたち、日本へいったらどうやって暮らすの」
 爺さんが困惑した顔でティモンをなだめすかそうとする。
「何とかするさ。ワシは日本語も話せるし、働き口くらい何とか見つかるじゃろ」
「銃直して金もらう気なんだろ。嘘つくなよ」
 ティモンの感情が爺さんを刺した。俺も、上村も、多分爺さんも、初めて見る態度だった。
「兄ちゃん、おれ日本なんか行かなくていい。降ろしてくれよ。兄ちゃんたちは帰っていいから」
 爺さんだけが息を呑んだ。俺はリアクションを全く返さず、上村は憂い顔になった。
「何言うとるんじゃ! ここにおったらお前もギャングにいつ仕返しを食らうかわからんのじゃぞ? ティモン、お前一体どうしたんじゃ?」
「もう銃なんか見たくない。ロロに銃を整備させて、それでおれが育ててもらうだなんて嫌だ。乞食やってた方がまだましだよ」
 強い意志が涙にまみれている。久しぶりにまっとうな人間の姿を見たような気がする。
 だがそれだけだった。
「駄目だ。俺はお前を殴ってでも日本へ連れていく」
「何で!」
「貴方を放って行けないからですよ」
「違うな。仕事だからだ。降りたいなら金払って降りろ」
 俺はティモンのどす黒いまなざしを厚い面の皮で受けた。
「そうやってお前がロロの銃をばらまいたんだろ」
 まなざしは俺の神経に一ミクロンも届いていない。
「ガキは黙ってろよ」
 車は港の駐車場に入った。俺がレンタカーを停めて全員が降りた後も、ティモンは貨物置き場の方へ歩き出そうとはしなかった。
「行けよ。おれはいい」
 見送るつもりなのか、車の傍らに樫の木みたいに突っ立っている。爺さんや上村さんはティモンを持て余し何とか彼を説得しようとしているようだった。
「まだるっこしい……」
 俺はさっさと先に行く。まだ密輸仲間と話をしなければならない。
「成田さん、どこ行くんですか」
「手続きだよ。顔見せにゃならんのだ」
「ちょっと待って」と声を掛けながら上村が走ってきた。
「持って行ってください」
 紺のジャケットを無造作によこす。受け取ると、衣類にあるまじき重さと金属の感触がした。
「カートリッジは内ポケットの中です」
 控えめに怪しい膨らみの中をのぞき見ると、血糊を軽く拭われた銀のトカレフが顔を覗かせた。
 俺は無言で上村に視線を戻した。
「貴方の服じゃいざという時脅しが効かないですからね。取り替えておいた方がいいでしょう?」
 上村は何気ない顔で手を差し出す。何だかやりとりが自然すぎて、笑うのも変なような気がした。
「それはごもっともだな」
 俺はジャケットを小脇に抱える振りをしながらトカレフをズボンに突っ込み、代わりにそこに入っていたポケット・ピストルを抜いてジャケットに忍ばせた。
「でも、いいや。俺にはお前のジャケット着れないだろ」
 俺は身長が百八十五センチあってしかも肥り気味だが、上村は痩せている上に身長も百七十センチなさそうだ。こんなに体格が違うのに下手な芝居打つんじゃねえよと思いながらさり気なく弾倉を抜いてポケットに押し込み、ジャケットを返した。上村はわざとらしく肩をすくめ、そそくさとティモンたちの所へ戻っていく。
「まあ、せいぜいお気をつけて」
 そんなことは言うまでもなかった。


「The Agents Vol.3 / ジャンク屋にて」


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